岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

2021 今年の風景

2021-12-30 11:30:57 | いなか暮し

 旅行好きを自認しているが、この1年は旅行には出かけなかったので大きな感動を受けた景色はないが、コロナ禍がいくらか落ち着きを見せた、この秋、友人家族を誘って岩手沿岸をドライブした。ホテルの近くの潮吹き岩を見に行って、そこで見た海、何もない空と海、只々広い太平洋には感動した。

 替わって、今年の”びっくり”は稲刈りの近づいた田んぼで畔の草刈りをしていた時に草刈り機を誤ってパイプラインの給水栓にぶつけてしまった。
 突然上がる大噴水というか、大水柱、65㎜の大口径から高圧で噴き出す大水柱に、そばを通る釜石線の乗客や、近くを通る車は見慣れない風景に驚いている。
 係の人に止めてもらうまでの2時間ほど、通りすがりの人たちには「大噴水」を楽しんでもらった。      
                                                                  「今年のびっくり大賞」でした。

         無常ならざるもの
          生まれたものは死に
             会ったものは別れ
             持ったものは失い
           作ったものはこわれます
          時は矢のように去っていきます
            すべてが「無常」です
              この世において
          無常ならざるものがあるでしょうか
        All Things Are Impermanent
              大本山 永平寺「道元禅師からのメッセージより

    来る、令和4年、平成34年、我々の昭和は、さらに遠のいて97年
               コロナが終息して、明るい1年となりますように。

 

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クリスマスの頃・・

2021-12-24 15:05:30 | いなか暮し

 庭の柊(ヒイラギ)は邪気を払う縁起木と言われるが、鋭い棘が少々厄介、クリスマスの頃、ツリーとともに見かける木でもある。
 ヒイラギの赤い実に雪が積もる、師走の美しい風景になる。

 小高い山の中腹の小さな小学校は、古い古い、木造校舎である。
 元気な子供たちが、にぎやかに昇降口で草履に履き替えて、途中の職員室の前は静かに通って・・
 その先、左に曲がったところに階段がある、2階への途中、少し広めの踊り場に見慣れないものがある。
 裏の山から採ったのだろう、大人の背丈ほどの杉の木が、板で作った四角の鉢に植えられて、金や銀の色紙や紙テープできれいに飾られている。
 子供たちは「何だろう」首をかしげる。
 「それはクリスマスツリーと言って、アメリカではどこの家でもクリスマスには飾るものなのよ」若い女の先生は優しく教えて、音楽の時間は「きよしこの夜、星は光り・・・」
 当時の子供たちは、畏れ多くもキリスト様をご存じない、ましてやクリスマスは初めての体験。
 終戦の直後だけに、大急ぎで欧米の文化を教えていたのだろう。

 イブの前日、12月23日は東京タワーの63才の誕生日という。
 63年前頃と言えば、花巻近辺の中学の修学旅行は、日光に一泊して、翌日東京入りして、バスで東京見物、車窓から超特大の”こたつやぐら”が見えた。
 完成すると世界一の高さになると、ガイドさんから説明があった。
 子供たちが見た「超特大のこたつ」は、タワーの下の部分しかできていない、建設中の東京タワーだった。

 東京タワーが63才、プラス中学3年生、イコール、なるほど我が身と年齢ピッタリ。
 

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師走の出来事

2021-12-21 14:42:22 | いなか暮し

おそらくは、クボタの農機を愛用している全国の沢山の農家に配布されてるだろう、クボタ「お祭り大好き」カレンダー、毎年各地のお祭りの元気な子供たち中心の写真カレンダーを楽しみにしている。
 来年、4年のカレンダー、1、2月ページに当地の胡四王神社蘇民祭が掲載された。クボタカレンダーには2回目の登場
  撮影:中田丑五郎さん 
 せっかく紹介された、胡四王神社蘇民祭は例年正月2日に行われておりますがコロナ禍により、2年連続の中止となりました。
 コロナ終息後の「胡四王神社蘇民祭」再開を、お待ちください。

胡四王神社蘇民祭H.Pはもうだいぶ昔に公開、幼稚な編集にも拘わらず多くの方にご利用いただきました。
 初期の目標を達成できたと自負し、年明けにでも店じまいをしたいと思います。長い間のご愛読に感謝申し上げます。

 じいちゃん、ばあちゃんの顔、元気なうちに・・と成人前後の兄弟とお母さんが名古屋から来てくれた。
 来るとわかった頃から、幼いころ一緒に九州旅行した時のビデオを老妻と見ては事前の歓迎準備は万端、久しぶりの顔はマスクに隠れて、どちらが兄か弟とわからないほどに成長していた。
 歓迎パーティ、大人になって初めての乾杯、いつかこの子たちと乾杯できるまでは・・・・達成した喜びに浸る。
 従弟、叔父、叔母‥にぎやかに話がはずんでいるが年寄りは早々に退散。
 夜更け、朝方近くなるまで飲んだらしい、空瓶がテーブルいっぱいになっていた。
 翌日は飲み疲れて、みんな昼近くまで寝ていたが、夕方には帰る、「じいさんもばあさんも、まだ持ちそうだな」と言い残して帰った。
 師走の1泊2日、あわただしい出来事でした。

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「ごんぼほり(牛蒡ほり)」

2021-12-15 13:52:11 | いなか暮し

 冬枯れの庭にしばらくの間は「南天」の独り舞台、やがて白い雪に、緑の葉っぱと真っ赤な実が美しい。南天は難を転ずる縁起木とも。
 秋どり野菜は寒さに充てると、甘みが出て美味しくなるからと古女房どのは雪の直前まで収穫しない。
 白菜、キャベツ、大根等は掘り上げてから再度、柔らかな土に戻す、雪の下で凍ることなく、水々しさを保ち甘みも出て美味しさが増す。
 雪の予報が入る頃、長いもと、ごぼうの掘り取り、これが最も厄介な作業である。
 長いも掘りも大変な作業だったが、近年、頭の良い人が考えただろう、厚手のビニールパイプで中で育てるから1mを超すような大物もまっすぐ折らずに簡単、残るはごぼう(ごんぼ掘り)はそう簡単にはいかない。
 大量に栽培してる人は、種を蒔く前に、先に機械で深い溝を掘って、収穫も機械でするが、庭先栽培ではそうはいかない。
 土の柔らかな砂質土を選んで種を蒔くが、固い地盤に当たると、ごぼうの根は右に曲がり左に曲がりして、スーパーで見かけるような、まっすぐな牛蒡にはならないから、ごんぼ掘りは大変となる。
 慎重にスコップを差しても、思いがけない方向に伸びた、ごぼうを切ったり、大きく穴を掘って、慎重にいくと小さな小さな、ミニごぼうだったり、、雪の前のごんぼ掘りは悪戦苦闘する。
 実は我が郷には「ごんぼほり」という言葉がもう一つ。
 昔、集会や宴会が多く飲む機会も多かった、宴がだいぶ進んだ頃、酒に酔った一人が、誰かを捕まえて、しつこくなり、話がややこしくなり、やがては、大声になる。
「まぁまぁ」と仲裁が入る、「まず、飲みなおして」・・・・・大声の主も、止める方も凡そ、きまっていたように思う。
 娯楽の少ない時代、クダを巻く方も、止める方も”役者”が決まっていたような気がする、あるいは宴会のアトラクションだったのかもしれないが、いつもクダを巻く人は「ごんぼほり」と言われた。
 掘るに厄介なごぼう掘りと、宴席でしつこく絡む、厄介な人をひっかけて言われたのだろう。  
 それでも懲りずに、何回も「ごんぼほり」を繰り返す人は、さらに「ごんぼほり、たかり」と言われて宴会の席では要注意人物とされた。

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仏事、しきたり、、文化?

2021-12-13 15:20:20 | いなか暮し

24節気 大雪(だいせつ)
 初候 閉塞く冬と成る(そらさむくふゆとなる)新暦では12/7~12/11頃
 別に待ち遠しいわけでもないが、今年はずいぶんと遅い吹雪が12月も半ばに吹き荒れ、道路も凍てついた。

 かって花巻近辺の農村地帯では、亡くなった人があれば翌々日頃、火葬、翌晩から2晩は大勢の人たちが集まり「お念仏」そうしてお葬式、忌明け法要と7日間位続いてようやく一連のしきたり、習慣はおしまい。
 当時出稼ぎや遠くの知人は交通の便も悪く、揃うまで待ったためとも言われているが、その後交通の便も良くなり出稼ぎも殆どなくなり一連のしきたりは年々と短くなり、次々にできた葬儀屋まかせが多くなり、昨今では3日目ぐらいにはすべて完了する。
 短くなった分、しきたり、慣習は大幅削減、病院で亡くなった仏様は二度と懐かしい家に帰ることなく葬儀屋行、お念仏は葬儀屋の手配したバスが集落を回り参会者を集めてくる。
 そして葬儀も葬祭屋のホールで行われる。
 集まる人、機会が少なくなれば、遺族の気苦労も少なくなり、近所の手助けも少なくて済む、合理的と言えば合理的に、ここ30年余りも続いたろうか、すっかり慣れてしまっていたが・・・・
 ここにきてコロナの大きな影響、密を避けるために、有名人が亡くなっても「近親者で済ませました」と新聞の慶弔欄は伝える、田舎でもまったく同じ、しきたり、慣習は大幅に減り、たいていは近親者で済ませて、大勢の人たちが集まるお念仏はなし、お葬式も「焼香済ませましたら、ご散会下さい」と実に簡単。
 変わらないのは「お布施」と残る葬儀屋の分厚い請求書。
 この先、コロナが消息した時、従来のお念仏、そしてお葬式の長い読経、えんえん続く弔辞、そういった長い間の習慣は一つの文化ともいえるが、どの程度、しきたり、文化として残り、復活するだろうか。
 簡単に済ませることを知った、これから喪主をつとめるだろう次の世代の方々はどう考えてくれるんだろう。
 この先、そうそう長くない我が身としては気になることのひとつである。

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