大寒に入ってますます厳しい寒さが続く、寒い冬を越した年の夏は実りが良いと昔から言われる。異常が異常とも感じなくなった今、寒い冬の次はさらに寒い夏だってあるかもしれない。墨絵になった三郎堤の桜並木
1月13日アップの続編 ニヤッとなるおまけ。
「岩崎城落城ものがたり」
慶長5年、岩崎城の和賀氏が謀反を起こし南部公は花巻城主、北松斎に命じて岩崎城を攻めて城を落した。勝ったほうではお祝いの宴が催されその席上でお祝いを兼ねたお国自慢を唄ったのが「ご祝い」唄の始まりと伝えられる。とここまでは1月13日アップ。
さて負けた方の物語、
落城した岩崎城の時の城主は和賀姫の守、女の城主であった。
城が陥落したので和賀姫の守は家来を連れて和賀川の上流へと逃げた。
切留まできた時には日が暮れたので野宿することになった。
家来とは云え男女同宿なので男女関係の話になった。
家来は主人公に対し直接肌を触れるのは恐れ多いと云うので、ケェバ(ほうのき)の葉に穴をつけて、これを境として男女関係に及んだと言う。
今でも切留山のケェバ(ほうのき)の葉には穴があいているそうだ。
「ご祝い唄」を調べられた久保田傳太郎氏が和賀城陥落のこぼれ話として書いておられた中から
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