梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

自分の事は話すな(その2)

2019年10月19日 10時19分00秒 | Weblog
著者が若い時の失敗を書かれています。コンサルタントの仕事を始め、徹夜と長距離移動が続いていた時、数年ぶりに街で友人と出会った。元気かと尋ねられ、自分の辛さを一方的に話し、友人は丁寧に聞いてくれたが、彼女のお母さんが病気入院中で大変だったと後で知ることになる。どうでもいい事を彼女に聞かせ、とても後悔したとの話です。

自分の話を切り上げ相手の状況を尋ねるべきだった、自分を理解して欲しいと思うことほど傲慢はない、と著者は断言します。私もそうですが、他者が自分のことを聞いてくれることを誰しも好みます。しかし相手もして欲しいことを、反対側に立つ自分は出来るでしょうか。夫婦ならともかく、「今度は私の話も聞いて!」という他人はいません。

「ニコニコしている人ほどあなたへの評価は厳しい」。あなたが相手の人に「なんて聞き上手な人、沢山の話を聞いてもらえた」、と思ったら用心が必要だと著者は警告します。何故か、話の聞き手があなたとの今後の付き合いの可能性が低いと判断し、傷つけないため、感じ良くニコニコしながら「優しい聞き手」を装っている場合が多いから。

しかし本気であなたに魅力と可能性を感じ、多くの意見や情報を聞き出して、しっかりと受け止めてくれる場合もある。ただし多くの人は、相手が「聞き上手」だと思い込んでしまう。相手に、話しの主導権を譲る対応に不慣れで、強制的に相手を聞き役にさせてしまっていることに気付かない。著者は会話での自分を、冷静に判断します。

ここで言われている「相手に話の主導権を譲る」ことは、本来の主導権を逆にこちらが取れるようになると、最近私は思うようになりました。自分の気持ちに余裕がうまれ、相手との気持ちの繋がりを感じ取れます。相手の聞いて欲しいことを満たすことで、聞いている自分がリードを取れるからです。

単に相手に主導権を譲るだけではなく、その先相手の心を開きながら会話をどう構築していくか、また話し癖を直すだけで劇的に改善するなど、実例を交えながら著者は細かく留意点を挙げています。以下、私が関心を持った章の中の節の見出しです。

プライベートなことを聞かないほうが失礼である。「信仰、政治、病気」の話題を避けるな。「雑談」をうまく切り上げる方法。話したいことの5割をカットせよ。相手の話したことを「引用」せよ。「私も!」といって話題を奪わない。「本気のゴマすり」で相手を動かす。「聞くふり上手」より「反応上手」を目指そう。

最後の「反応上手」を目指そう、です。「反応」とは、「感謝、感激、感動」に基づいて発する言葉のことで、「共感」や「尊敬」などが軸となる、と著者は説明します。「聞くふり上手」な人たちは、穏やかそうな表情で話しに頷くが、相手の言葉に対してのこの反応が浅く、熱量や魅力を感じることはないと言います。

私達夫婦で、京都の舞鶴引揚記念館に訪れた時のことです。戦後、大陸に進駐していた軍人軍属や一般人が帰還し、その引揚に関わる資料などが展示された立派な記念館でした。家内と展示品を見て話をしていると、スッとボランティアのガイドの女性(70歳中ば)が寄ってこられました。押し売りではなく、私達の反応を観ながら話をしだしました。

その方の見識の豊かさと、歳を取っても学んでいるような謙虚さに、私達は引き込まれました。私も多少の知識はありましたが、確認程度の話にとどめ、その方へ指導権を譲りました。時間も忘れ、多くのことを知ることが出来ました。自分たちの都合で適当に話しを切り上げなくて良かったと、つくづく思いました。

ムダな会話にせず深い話を引き出せるか、要は相手への興味があるかどうかです。互いの気持ちを正しく理解し、より良い人間関係を構築するために、会話を通してのコミュニケーションは必要不可欠です。「自分の事は話すな」に、多くのヒントがあるように感じています。


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