梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

災難に逢う時節

2019年10月26日 05時35分25秒 | Weblog
台風19号が東日本を縦断してから二週間が経ちました。台風の猛威はすさまじく、記録的大雨での河川の氾濫などにより、多くの犠牲者が出ました。また住宅を失った方や自宅で生活出来ない被災者は、今でも避難所で非日常の生活を余儀なくされています。

今回の台風は、100年に一度の大雨という事態が発生したとはいえ、防波堤の決壊は71河川130ヶ所にも及び、インフラや交通に大きな影響を及ぼし、企業活動にも打撃を与え、治水や住民の避難勧告など行政機関にも重い課題を残しました。   

19号のわが社の被害は、特にありませんでした。前回の15号では、建屋の中の部屋で一部水浸しになり、工場のレーザー溶断機の付帯設備が水に濡れ動かなくなりました。いずれも大掛かりな工事には至らず、元に戻りました。しかし江東区東雲の他社に貸している倉庫では、屋根が強風で部分的に吹き飛ばされ、修復工事を余儀なくされました。

以前『花無心』というタイトルで、良寛和尚の詩を紹介したことがあります。その良寛和尚の書状に、“災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候” このような言葉が残されています。

和尚が71歳の時、住んでいた新潟三条で大勢の死者が出る大地震が起こりました。幸いにして、和尚自身や住んでいた草庵には被害はなかったのですが、子供を亡くした友人の山田杜皐(とこう)に送った見舞い状に、この一文が出てきます。

その意味は、言葉通りにとれば、「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、これが災難にあわない秘訣です」とのことです。災難に遭わない妙法などではなく、聞きようによっては随分と冷たい言葉です。

「地震はまことに大変である。自分は助かり、死なずに長らえて、こういうひどい憂き目を見るのが辛い」という気持ちを示した後、冒頭の言葉が出てきます。私達がどんなに手を尽くしても、災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。だとしたらそれらを受け入れて生きるしかない。真意はそのようなものです。

子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対し、「頑張って」の一言も書いていません。腹を据えなさい。腹さえ出来れば、どんな逆境の中でもやっていられる。良寛和尚は、腹を決めて現実を見捉えることが、迷いから抜け出る最良の方法だと言いたかったようです。

私達は災難に対し、備えも何もなく、ただ受け入れていい訳ではありません。私達は災難を想定して、それに備える能力も持ち合わせています。しかし想定し備えていても、天は不仁です。誰彼を問わず容赦なくその想定を超えて、災難は降り掛かかることもあります。人間の至らなさを、そこで何かを気付くことも大事です。

今から4年前、集中豪雨で鬼怒川が氾濫し、常総市が水害に襲われました。その9日目同地を訪れました。自分は災難には遇わない、自分は大丈夫だとの正常性バイアスを打破する目的でした。中心市街に入ると道が白くなっていて、泥水が渇いて砂埃が舞い上がっています。公園には自衛隊が駐屯し、消防団員が2~3人のグループで住宅を見回っています。

道具や家財を全部外に出して、家の中を水で洗っている人がいます。玄関や窓を開けたままの空き家のような家も目立ちます。各家の前には真っ白な消毒薬の石灰が撒かれています。大きなゴミの山が目に留まり、よく見ると、川から流れて来た物凄い量の漂流物です。既に異臭が鼻を突きました。現地に行かなければ、想像できなかった世界でした。

仏教において、人の生き死には日常茶飯事です。人は生まれたからには、生老病死から逃れられません。良寛和尚は悟りを開いた高僧だからこそ、災難だけの上に不運をみることはせず、慈愛に満ち心がこもった深い言葉が出たのではないでしょうか。

騒がれたニュースも時間の経過と共に薄らいで行きます。そして忘れ去られ風化します。被災地の非日常を、凡人の私は、心に刻まなくてはいけません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする