17年前わが社のメインの素材販売先が破綻して、その会社を吸収合併したこと。18年前長らく拠点があった葛西の土地を売却して、浦安にわが社を移転したこと。「どちらも綱渡り的な何か不思議な経験をした」と前回書きましたが、この言葉に少し説明が足りませんでした。
社運を賭けるような選択や判断において、場合によっては保険を掛けます。これは保険会社に支払う保険ではなくて、確たる裏付けとか安全策を講ずるとかの意味です。適切な例か分かりませんが、付き合っていた彼女と別れる時、次の彼女を見つけておいてそちらに乗り換えるようなことです。先の二つは、このような保険は掛けませんでした。
20年前、江東区東雲の鉄鋼団地に在った工場を閉鎖しました。先代からの事業でスクラップの加工処理をする、25年間稼動した工場でした。閉鎖理由は、長年赤字が続いたからです。鉄板販売に軸足を移していた時期ですが、規模を拡大している業界において、わが社のスクラップの扱い量では衰退事業となってしまいました。
そこで働いていた社員5名が、既に定年を迎えていたこともあり、一年毎の更新契約でしたので、期間補償をして退職を受け入れてもらいました。長年の売り買いのお客様には、丁寧に事情を説明するしか方策はありませんでした。赤字の事業を続けることは社会悪と思い、その垂れ流しを早く止め、会社を守ることが社長の使命だと考えました。
不思議なことが起こったのはそれからです。工場を売却するか賃貸にするのか検討する時間もなく、事業を止めることが先決でした。シャッターを降ろしたままの一ヵ月後、倉庫・工場賃貸仲介の大手不動産会社から、葛西本社に突然電話が掛かってきました。
不動産会社の営業マンは四六時中、物件を探している様子には驚きました。工場が空いているなら自社発刊の物件紹介誌に載せたいとのことでした。そして掲載をお願いして一ヵ月後、借りたい企業が現れ、賃貸料の問題もクリアーして、契約の運びとなりました。以来、今に至るまでその企業に活用してもらっています。
“花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を訪ぬ。花開くとき蝶来たり、蝶来たるとき花開く。吾もまた人を知らず、人もまた吾を知らず。知らずして 帝則に従う”。これは良寛和尚の『花無心』という詩です。長年参加している勉強会で、先般学びました。
「花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。花は、咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶ。ただそれだけ、それが自然の摂理である。自分も他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている」。との意味です。
蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけます。その関係で互いの子孫の繁栄に繋がっていく、自然の仕組みの見事さです。人間の小さな計らいなどどうにもならない。大自然の摂理の中で、私もあなたも人間は生かされていると解釈出来ます。
他の会社を吸収合併したこと、近隣の都市化で本拠を移転したこと、不採算の工場を閉鎖したこと。それこそ無我夢中でした。少なくとも、金を儲ける為だとか我欲だけでしたのではないことは、確かだと言えます。
私達は自然の摂理に抗えません。保険を掛けないことが自然の摂理だったのかどうか、私には分かりません。目先の金儲けや我欲だけで行なっていたら、恐らく天にわが社は潰されていたと思います。
綱渡り的な経験は、その最中はとても結果など予測できませんたが、振返ってみて不思議な経験となりました。このようなことを考えると、『花無心』の詩は学ぶところが多くあります。無我夢中ではなく、もっと無心になって帝則に従うことを目指します。
社運を賭けるような選択や判断において、場合によっては保険を掛けます。これは保険会社に支払う保険ではなくて、確たる裏付けとか安全策を講ずるとかの意味です。適切な例か分かりませんが、付き合っていた彼女と別れる時、次の彼女を見つけておいてそちらに乗り換えるようなことです。先の二つは、このような保険は掛けませんでした。
20年前、江東区東雲の鉄鋼団地に在った工場を閉鎖しました。先代からの事業でスクラップの加工処理をする、25年間稼動した工場でした。閉鎖理由は、長年赤字が続いたからです。鉄板販売に軸足を移していた時期ですが、規模を拡大している業界において、わが社のスクラップの扱い量では衰退事業となってしまいました。
そこで働いていた社員5名が、既に定年を迎えていたこともあり、一年毎の更新契約でしたので、期間補償をして退職を受け入れてもらいました。長年の売り買いのお客様には、丁寧に事情を説明するしか方策はありませんでした。赤字の事業を続けることは社会悪と思い、その垂れ流しを早く止め、会社を守ることが社長の使命だと考えました。
不思議なことが起こったのはそれからです。工場を売却するか賃貸にするのか検討する時間もなく、事業を止めることが先決でした。シャッターを降ろしたままの一ヵ月後、倉庫・工場賃貸仲介の大手不動産会社から、葛西本社に突然電話が掛かってきました。
不動産会社の営業マンは四六時中、物件を探している様子には驚きました。工場が空いているなら自社発刊の物件紹介誌に載せたいとのことでした。そして掲載をお願いして一ヵ月後、借りたい企業が現れ、賃貸料の問題もクリアーして、契約の運びとなりました。以来、今に至るまでその企業に活用してもらっています。
“花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を訪ぬ。花開くとき蝶来たり、蝶来たるとき花開く。吾もまた人を知らず、人もまた吾を知らず。知らずして 帝則に従う”。これは良寛和尚の『花無心』という詩です。長年参加している勉強会で、先般学びました。
「花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。花は、咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶ。ただそれだけ、それが自然の摂理である。自分も他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている」。との意味です。
蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけます。その関係で互いの子孫の繁栄に繋がっていく、自然の仕組みの見事さです。人間の小さな計らいなどどうにもならない。大自然の摂理の中で、私もあなたも人間は生かされていると解釈出来ます。
他の会社を吸収合併したこと、近隣の都市化で本拠を移転したこと、不採算の工場を閉鎖したこと。それこそ無我夢中でした。少なくとも、金を儲ける為だとか我欲だけでしたのではないことは、確かだと言えます。
私達は自然の摂理に抗えません。保険を掛けないことが自然の摂理だったのかどうか、私には分かりません。目先の金儲けや我欲だけで行なっていたら、恐らく天にわが社は潰されていたと思います。
綱渡り的な経験は、その最中はとても結果など予測できませんたが、振返ってみて不思議な経験となりました。このようなことを考えると、『花無心』の詩は学ぶところが多くあります。無我夢中ではなく、もっと無心になって帝則に従うことを目指します。