梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

葛西の地その3

2006年08月19日 17時09分36秒 | Weblog
なぜ江東区亀戸から、江戸川区葛西に引っ越したかと言いますと、先代(父親)の商売が拡大した事によります。

昭和35年は創業より8年目に入っていましたが、先代が興したミルスケール(簡単に言いますと鉄の粉)の集荷業も順調に推移していました。亀戸は当然借家でしたが、敷地内にはそのミルスケールやトラックの狭い置き場、小さい木造平屋の家は事務所と自宅が一緒でした。

そこは商店街に隣接していたこともあり、年々扱い量が増えるに従って、トラックの出入りも頻繁になり、更に鉄の粉が近隣に飛ぶなど移転は時間の問題でした。

どうして葛西が移転先になったのか、小さかった私にはその詳しい経緯は分かりませんが、その当時は「葛西の地その1」に書きましたように交通が非常に不便な土地でしたから、会社としては大きな決断でありリスクはあったと思います。しかし都心に近くその割に地価は安く、と選択要因としてはそんなものがあったと想像しています。

私たち子供にとっては、同じ敷地ながら自宅と会社が分離している葛西の新天地は、初めて自分の部屋が持てる喜びが全てで、それからの商売の行く末を憂慮したかもしれない親の心内など、微塵も知るすべさえありませんでした。
 
その後40年代に入り、この江戸川区南部には一つの社会現象が起こりました。主に運送業や金属鉄鋼業が墨田区や江東区から次々と移転して来ました。それらの会社も同じように近隣から追われるようにして、同じように広い場所が確保でき、土地も安く、都心に近いこと言うことで新しい土地を求めたのです。

結果的にわが社も、この土地で大きく飛躍し、商売の内容も大きな方向転換を迎えることになりました。
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