梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

葛西の地その2

2006年08月16日 10時26分45秒 | Weblog
コメントを頂きました内田さんのご指摘の通り、昔はこの地域の地名としては長島村とか葛西村しか無かった様です(正確には私も調べていませんが)。戦後も暫らくは、まだまだ自然が残っている、町と言うより、のどかな農村と漁村だったのでしょう。

引っ越した土地は、ちょうど旧地名で長島と葛西にまたがっていましたので、私も長島の呼び名にはいまだに懐かしさを覚えます。その後長島の地名は消え、そのほとんどが現東葛西や中葛西に地名変更されました。

当時我が家から一キロ位南下したところが海岸線でしたが、昭和40年代にはその先一キロ沖まで壮大な埋め立て工事が行われ、葛西南部の景色も一変しました。ですからこのあいだ十四日早朝、首都圏で大規模停電の原因になったクレーン船が破損した送電線の下の江戸川区は、昔は大よそ海だったと言うことです。

昭和44年、それまで新木場で折り返し運転をしていた地下鉄東西線が西船橋まで全線開通し、我が家から3分のところになんと葛西駅が出現してしまいました。

また昭和50年代中頃、環状七号線は葛飾区方面から葛西駅の南側50メーターまでで通行止め、その先は長らく工事中でしたが、それが湾岸まで貫通しました。

そのあたりから葛西は激変します。

農道を歩いて小学校に通った頃の葛西。大きな池では雷魚(らいぎょ)も捕れた頃の葛西。その葛西は、今ではそんな事を知らない人が多く住む、電車でなら20分で大手町に行ける都会に様変わりしてしまいました。
コメント
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