風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

1979年〜1984年

2024-04-06 | 文化

渋谷にパルコができたのは1973年。
Part2は1975年。
そしてPart3は1981年。
公園通りやスペイン坂などの通りの名前がついたのも
最初のパルコができた時。
私が大学入学で上京したのは1979年なので
ちょうどリアルタイムでパルコ文化が花開いた時代だ。
とはいえ貧乏学生にはパルコどころか
渋谷のまちもキラキラ眩しすぎて縁遠かった。
今考えるとまだまだサラリーマンの街だったのにね。
渋谷に行ったり、
パルコ(特にPart3)に出入りするようになったのは
大学4年でテレ朝のADをやるようになってから。
多少まとまったお金をもらえたからね。

上京した頃の原宿は竹の子族が花開いていた。
とはいえそれは代々木体育館前から原宿駅前あたりまで。
明治通りから表参道にかけては大人の街だった。
その辺りにあったJAZZ喫茶に時々行ったりしたものだ。
表参道駅近くのハナエモリビルの地下にあったアンティーク街は
高価で買えず、見るだけのために訪れたものだった。
ハナエモリビルからちょっと路地を入ると
落合恵子さん経営のクレヨンハウス。
大学1〜2年のころは絵本に凝っていたので
ここもよく行ったものだ。

六本木はもっと大人の街・・・
というより他の繁華街とはちょっと違う
スノッブな雰囲気の街だった。
表参道もそうだったけど、
有名人が歩いているのに気づいても知らん顔するような
そんな外国のようなというか、個人主義的空気。
牛丼チェーンやそば屋チェーンなど
どこの繁華街にもありそうな店は見当たらず
ちょっとおしゃれな店が軒を連ねていた。
とはいえ、六本木交差点周辺をちょっとそれると
麻布方面まで下町っぽい商店街。
テレ朝時代はルート246沿いにあった
インドネシア料理店「ブンガワンソロ」がお気に入りだった。

歌舞伎町は飲み屋街。
今のような風俗店が並んでいた街ではなかった気がする。
ここもPONYや木馬などの老舗JAZZ喫茶に通った。
花巻から上京した友人たちと飲むのは
西武新宿駅近くのキリン館。
足を踏み入れるのに臆するような歌舞伎町ではなかった。
新宿駅前のアルタは待ち合わせにもよく使った。
大画面映像は人待ちの間のヒマつぶしに都合よかった。
新宿は駅ビルMY CITYや駅前のミツミネに通ったものだ。
パルコ辺りと比べるとリーズナブル。
貧乏学生にはありがたかった。

当時はまだバブル前。
1970年前後の高度経済成長を経て、
戦争の時代はもちろん、その後の「The戦後」の気配もなく
それでも大正生まれや昭和ヒトケタ世代向けの
赤提灯中心のサラリーマンの街だった。
ガサツな街、下世話な街、雑多な街が多かった。
八百屋、米屋、酒屋が普通に営業していた。
肉屋でコロッケを買って食べながら歩いたりもしていた。
そんなゆるい雰囲気がどこか心地よかった記憶がある。
同じ東京の街。
現代は40年前当時とはまったく違う街という感じ。
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