風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

悼む人

2011-10-28 | 読書
我が家にある
古い写真2枚を思い出した。

1枚は父の兄弟達が揃った写真。
大正12年生まれの父が生まれる前のものだから
おそらく大正10年前後のものだろう。
父の兄達4人はまだみんな20歳前(四男は8歳)で、
それぞれ立派な顔で写っている。
しかし父を含め、兄弟5人ともすでにこの世にいない。
もちろんその親達も。
どんな人生を各々歩んだのかについては
いろいろ話を聞いていたからだいたいわかるものの、
各人がどんな思いで生きていたかは当人にしかわからない。
けれどもみんな、ちゃんと心の中に生きている。
忘れることは無いだろう。
自分の代が替わればわからないが。

もう1枚は昭和10年代。
現在81歳の親戚がまだ小学生だった頃の写真。
これもまたその1人を除いて泉下にいる。
この写真を見て、それぞれが誰だかわかる人間は
その81歳の親戚ご夫妻を除いたらもうワタシだけになった。
ワタシがこの世からいなくなればわかる人がいなくなる。
でもそれぞれ、写真の中で生きている。

人が亡くなって悲しいのは遺された人。
本人は亡くなってしまえば悲しいも何も無い。
さて、遺された人達は亡くなった人のために何ができるのだろう。
その人を忘れること無く覚えていることだけなのかも知れない。
でも、それはすごく大事なことだよね。
以前書いたビートたけしさんの言葉
「1人が死んだ事件が2万件あったんだよ」が改めて身に沁みる。
事故でも、災害でも、戦争でもたくさんの人が亡くなるが、
それを数字で表してはいけない。
ひとりひとりの人生は大切なもの。

ワタシはこれまで、
誰を愛して、誰から愛されたのだろうか。


「悼む人」上・下 天童荒太 著 文春文庫
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