歴史散歩
2023-05-12 | 散歩
昨日は花巻市シニア大学の要請で
「花巻の城下町」と題したまち散歩の案内人を務めた。
城下町ということはもちろん城がある。
まずは平安時代、安倍貞任の頃の城柵からの歴史をおさらいし
盛岡藩領となって北信愛(松斎)が城代となった頃から
城下町形成の話とともに散歩となった。
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当時の地形を知らないと理解が難しい。
赤い点線は江戸時代に切り替えられるまでの北上川で
青い点線は昭和20年代のアイオン、カザリン両台風被害により
切り替え工事をする前の瀬川の流れ。
その点線のすぐ下の緑地が花巻城跡だ。
稗貫氏時代の鳥谷ヶ崎城は、北の南部氏と敵対していたので
北上川をお堀代わりとして備えた。
江戸時代になると守りは南の伊達氏となり、
北上川がお堀代わりという役目は必要なくなったが、
今度は主に藩都盛岡との水運のために重宝されたようだ。
(だからこの地は「小舟渡」と命名され、米倉もあったらしい)
しかしその後、
度重なる水害を防ぐべく現在の流れに切り替えられた由。
守りが南に備えたものになったので
花巻城の南側には武家屋敷が並んでいたのだと想像する。
実際、今の仲町や上町、花城町あたりは武家屋敷が並んでいた。
そして城に守られるように城下町は城の北側に形成され、
最初にできたのは四日町とのことだ。
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昨日の城下町散歩では
かつての鍵町から一日市〜四日町へ。
明治天皇が巡幸で花巻に滞在した行在所(あんざいしょ)跡を見、
大正時代まで花巻小学校があった場所を確認し、
当時の花巻町役場があったと思われる場所も歩いてみた。
一日市、四日町は空襲に遭っていないので
道も当時の形が割に残っているところだと思うし
戦前からの古い建物もそこここに残っている。
車で通り過ぎるだけではわからない花巻の歴史は
歩いてみることで見えてくる。
もちろん行動範囲が広がるので自転車もオススメ。