風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

2024-07-29 | 社会

地図マニアという言葉があるようだ。
「マニア」というほど詳しくもないし執着もしないが
さまざまな地図を見るのは嫌いじゃない。
それどころか、あえて調べて見たいとも思う。
どういうところにそんなに興味を持つのかといえば
地図そのものよりも、
そこで暮らす人たちやその場所を歩く人たちを
地図上で想像してみるのが好きだから。
現代の地図も興味あるが、特に古地図にはそそられる。

例えば上記の地図。
測量した大正2年の花巻と、現代の同じ場所が並べてある。
大正2年といえば、宮沢賢治が盛岡中学に在籍していた時代。
下宿先から実家に帰省した時にこの道を歩いたことになる。
のちに心象スケッチ「春と修羅」を印刷した
大正活版所(吉田活版所)の場所はまだ田んぼになっている。
今の末広町から花巻駅前へと続く道がないのだ。
また、現在の双葉町(当時の大工町)の裏通りもない。
ということは、帰省して実家へ向かう賢治さんは、
新道への坂道を下り、吹張町へ続く堀割の坂道を今度は登って、
上町を経由して帰っていたのだろうと想像できる。
当時は繁華街の道路も今ほどは広くないし、
当然自動車も走っていない。
駅からは殺風景な上り下りを通り、
軽便鉄道の陸橋下を潜ったあと商店街を歩いたのだろう。
そんな姿が地図を見ているだけで目に見えるようだ。
(吹張町も西側はまだ田んぼのように見える)

古地図を見ていると花巻も、盛岡も、そして東京も
明治の頃、大正時代、戦前の昭和、戦後・・・
それぞれの時代ごとの街の形成経緯がわかって面白い。
先日ここに書いた、東京の昔の路線図なども
街の変化とともに人の流れがかわる様が興味深い。
新しい道路が、新しい鉄道が1本できるだけで、
人の流れは大きく変わり、街は栄枯盛衰していく。
「便利になった」というだけではなく
それによってまったく人が通らなくなる街もある。
街は交通機関が作るし変化もさせる。
コメント
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