風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

摂理

2020-11-26 | 風屋日記

当たり前のことを書こうか。
みんな普段は忘れがちであるほど当たり前なこと。

人は誰もが母のお腹から生まれ、
そしていつかはみんな必ず死んでゆく。
胎児として生きていても
生まれた時にはもうこの世を去っている子もいれば
生まれてすぐに、あるいは幼少期に不幸に見舞われることもある。
生き残った者たちは子ども時代を過ごし、
さらに生き残った者たちは青春を生き、大人になっていく。
その過程でさらに命のふるいにかけられていくが
中年期を生き抜き、老年期を迎え、
やがて朽ちていく。

明治に生まれたものは立身出世を夢見て生き、
大正期に生まれたものは戦中を必死で生き抜き、
昭和の戦前に生まれたものは戦中から混乱の戦後、
そして高度成長期を駆け抜け、
戦後の混乱がまだ抜けきらない時代に生まれたものは
(私の世代だ)高度経済成長の恩恵を受けて育ちながら
バブル経済時代からの後始末に追われた。
生まれた時代は誰も選べないが、
各々が自分の人生を笑いながら、泣きながら、悲しみながら
必死で生きてきたということだけは確かなことだ。

いま私は人生の秋を迎えている。
初秋なのか、晩秋なのか、はたまたもう初冬なのか
それはわからないけれど
自分のこれまでの人生を振り返ってみてもいい時期だ。
自分の人生のみならず、
いろんな人の人生に思いを馳せることもこのところよくある。
明治期に生きた人々はどんな青春、どんな仕事を経て
どんな人生を歩んだのだろうか。
戦中に必死で生き残った人たちはどうだったのだろう。
いま高齢者と言われる人たちの青春は?・・・などなど。

仕事で過去の人たちのことを調べることがよくある。
今もそういう仕事を2〜3本持っている。
その時には、単に事実だけを資料から読み取るのではなく
その人の生きた時代を考え、どんな思いで生きていたのかや
どんな体験をしてきたのかなど想像してみる。
そうすると、とうの昔に亡くなった方々が
生き生きと目の前に現れてくるのだ。

目の前にいる高齢者、もう亡くなってしまった方々の
青春時代、壮年時代に思いを馳せてみるのも
もしかしたら若い世代の方々には必要なことかも知れない。
誰でもいきなり年寄りにはならない。
必ずみんな若い頃があり、紆余曲折の人生があった。

10代〜30代はまだ自分の人生を振り返るのは早すぎる。
40代、50代前半もまだまだかも知れない。
しかし、50代後半ぐらいから、この先の人生を考えた時
思わず過去を振り返っている自分がいる。
後悔はない。
それどころか、寄り道ばかりの人生だったが
その寄り道が全て今に生きている。
そしてこれからもたぶん寄り道し続けることになるのだろう。
もう走ることは無理だけど、
もう少し歩けるうちに前を向いて歩いてみようか。
コメント
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