風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「吉原はこんな所でございました」

2012-12-28 | 読書
人権擁護、性差別に関して
吉原という地に良くない感情を覚える向きもあろうが、
江戸時代から、少なくとも昭和33年まで
(もしかしたら現代に至るまで)
ひとつの文化を形成した場所として興味がある。
地名からしてある種の哀しさや苦しさ、辛さとともに
優しさをも感じられる響きを持つ。

例えば病気の妻から亭主の馴染みの花魁に
「うちの亭主をよろしく」との言付けがあった話。
例えば戦地に赴く前に寄った兵士の浮き世への未練からの
「必ず帰って迎えにくるから」との言葉に対して
そんな兵士全員に「必ずだよ。待ってるよ」と
笑顔で送り出した岩手出身の花魁の話。
例えば芸を売る吉原の芸者衆が
「私たちは(色を売る)花魁のお陰で芸で食べていける」
と花魁達に心から感謝していたという話。
例えば泊まりの客が朝浴衣姿のまま派を磨こうとすると
そっと後ろから濡れないよう袂を引く花魁の気遣い・・・
そんなリアルな逸話を読むにつけ
「吉原の人情」という昔の男性達の言葉を実感する。
そしてまた、昭和33年の売春防止法施行までは
(建前上の社会的ヒエラルキーはあったにせよ)
彼女達への差別はそれほど無かったのではないかと感じさせる
数々のエピソード。
知ってるつもりでもほとんど初めて知る吉原の生の姿に
感慨を新たにする思いだった。

大正12年に3歳で吉原の引手茶屋「松葉屋」の養女となり、
戦前、戦中、戦後を生き抜きながら
後の料亭松葉屋を切り盛りしてきた女将の思い出記。
とはいえただの思い出ではない。
売られてきた女の子達の時代から現代の風俗店にいたるまで
優しく暖かい目で見ていた著者の思いや言葉は
その時代を知らずに読んでいる我々が無意識に持つ差別の目や
特殊な思いなどをいつの間にか溶かしてしまい
逆に彼女達に畏敬の念すら感じさせてくれる。
吉原にだけ後まで残っていた江戸文化や昔気質なども面白く
これが現在の下町の「粋」の源流になっているのだなぁと
つくづく感じた。
できることならこの時代を経験してみたかったとも思う。

「吉原はこんな所でございました」福田利子:著 ちくま文庫
コメント
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