風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「国境の南 太陽の西」

2011-11-12 | 読書
20年ぶりの再読。
それほど熱心なハルキストではないものの
これまで出版されてきた村上春樹氏の著作はほとんど読んできた。
特に初期から中期にかけては現実社会から1つ壁を隔てているような
クールで内省的な作風に惹かれ、
若かった自分は登場人物に自らを投影しながら
自分の人生についてなどいろいろ考えながら読んだものだ。
文体を始めとして、
これほど当時の若い世代に影響を与えた作家は他にいないんじゃないかな。
(文体を真似るのが流行ったのは庄司薫氏と同氏ぐらいじゃないか?)
(そういえばハルキ氏は庄司薫氏の意識的後継者と論ずる意見があるらしい)

真のハルキストといえる読者達が
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」や「羊をめぐる冒険」、
そして「ダンス ダンス ダンス」「海辺のカフカ」などを評価するのに対し、
自分としては全く正反対の「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」を好んでいたが、
中でもこの「国境の南 太陽の西」は最も好きな作品だった。
物語の始め、主人公が小学生時代は高度経済成長初期の神戸、
30代を描く途中からはバブル経済まっただ中の東京というように
自分とほぼ同年代の登場人物が、当時の自分とも重なる思考を巡らし、
自らの存在と人生を考えるという内容がすとんと心に落ちた。
(中に出てくる「吸引力」という言葉にも大変惹かれた。わかるわかる)

20年が経ち、50代になって再読してみると全く違う風景が見えた。
これはバブル経済社会に対するアンチテーゼを我々に突きつけている。
本当にいいのか? 本当にこんな風に価値観を変えていいのか? という
高度資本主義経済システムの暴走に疑問を呈しているのだ。
(これは2002年に同氏がエルサレム賞受賞の時の有名なスピーチにある
 「私たちはみな国籍や人種・宗教を超えてまず人間であり、
 『システム』という名の壁に直面する壊れやすい卵なのです」にも繋がる。
 経済も国家も外交も防衛もある意味システムである)
「何か素敵なものがあるに違いない」と目の前のことを放り出して行ってみても
どこにもたどり着くことはなく、「太陽の西」には何もない。
それはまるで逃げ水のようなものだ。

自分とは何か。
人はどう生きているか。
存在するとはどういうことか。
私たちはこの作品に質問を突きつけられる。
そして誰にもいつかはやってくる「死」の影も。

かつてのクールで内省的なハルキ氏が
「アンダーグラウンド」を契機として社会と向き合ったのとほぼ時を同じく
社会に真っ向から挑んだリュウ氏が
その後社会と一線を画するようになったのはどうしてだろう。
まるで役割を入れ替えたかのように。

「国境の南 太陽の西」村上春樹 著 講談社文庫
コメント
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