風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

故老政治家のことば

2010-09-12 | 世界・平和
 今最も国民の関心をもって論議されているのは再軍備の問題である。
 独立も総合開発も税金も一人ひとりの生活も
 みんなこの問題に関わっているのだから、これは当然である。
 再軍備と自衛隊の漸増、いずれがたぬきかむじなか知らないが、
 これに対する賛否両論のイデオロギー的色彩はあるにせよ、
 ただ左右の思想対立とだけ割り切って考えるのは見当違いであると思う。
 もっと現実の生活基盤に立って問題と取り組まなければならない。
 何を守る軍備か?象徴された日本でも、観念的な「国土」でもなく、
 国民各自の生身の生活であり、肉親、友達、恋人など
 共に生きているこの世の人間同士なのである。

 (軍備放棄という)理想がだめなら「現実」でいくというわけで、
 講和前後からむやみに現実論が横行する。
 再軍備問題などでも
 「戸締まり再軍備」と一応もっともと思わせるようなことをいう。
 国際情勢上、やむを得ないと「あきらめ」現実論もでる。
 現実論者は平和論や再軍備反対を空理空論として片付ける。
 しかし現実を見るならもっと徹底して見てもらいたい。
 (中略)
 戸締まりはいつまでも戸締まりであり得るか。
 軍備は逆に国民を苦しめる軍国主義に変化する
 過去の現実も忘れてはなるまい。
 講和や外貨導入も、次第に本質が明らかになってくると、
 この「現実論」でもごまかせなくなる。
 そこで批判や不平を抑える治安立法が出てくる。
 こうなると国民は何を言っても怖いような気がして
 思想と表現の自由を失い、生活の現実は地下にもぐってしまう。
 破壊活動も建設意見も区別がつかない。
 自由と道理もない恐怖の世界が生まれる危険がある。

まるでそのまま現代のことを言っているようではないか。
昭和20年代の言葉が現代にも通じるということは、
60年経っても何も変わっちゃいない、進歩していないということ。
ついでに言うなら、
アジアの隣国を悪し様に言う言葉、
政治における外交を「腰抜け」と罵倒する声なき言葉、
ありもしない危機を煽る報道記事などは
あたかも昭和ヒトケタに戦争を煽った世論そのままだ。
60年どころか、80年も日本人は変わっていない。

 人間というものはどの国の人でも共通してもっている
 ひとつの触れ合いがありますね。
 仮に他の国の人でもね、
 皆悲しければ泣くし、嬉しければ喜ぶでしょう。
 そういう人情というものは同じなんですから、
 その中で命を大切にするというのは基本だと思うんですね。
 弱いものを助けるとか。
 例えばインドのマヌの法典があるんですね。二千年も前の。
 その中にも非常に厳しい刑罰があるんだけど、
 戦争のときに毒矢を使っちゃいかんとか、
 或いは弱い者、憐れみを乞う者、逃げる者を撃っちゃならんとかね。
 そういうルールがあるんですね。

 日本では義理と道理をいっしょくたにしている。
 義理の義という字はもともと偽という字と同じ意味だ。
 偽という字を分解すると人為でしょう。
 人為的なものという意味なんです。
 いわゆる作られたものなんだと。本来のものではない。
 義というのは作られたもの、約束事なんですね。
 ところが道理というのは本来のものなんだと。
 例えば君臣の関係ですね、これは義理だというんです。
 社会の約束事だ。
 親子の関係はそうではない。もともとの関係ですね。
 それを日本ではいっしょくたにして、忠義と孝行を一緒にしちゃって、
 これは間違いだ・・・

ここに引用した言葉はすべて昭和20年代に言われた言葉。
不変なもの、本質を忘れるなという言葉を噛み締める。
コメント
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