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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

いつか来た道

2022-02-25 | 世界・平和
隣国ながら同胞が多数住んでいる。
しかも祖国にとって敵対国との間を隔てる場所。
緩衝地帯としてもこの場所を守らないといけない。
ということで、
こちらが攻撃されたというエクスキューズを用いて
大規模な軍を派遣し、攻撃して傀儡国を作る。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まったが
上記のロジックは今回に始まったものではない。
大日本帝国による満州国感覚に至る経緯も
ほぼ今回と重なって見える。
いつか来た道。
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「曠原淑女」

2022-02-23 | 世界・平和
「曠原淑女」
 
日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風も吹く
にはとこやぶのうしろから
二人のをんながのぼって来る
けらを着 粗い縄をまとひ
萱草の花のやうにわらひながら
ゆっくりふたりがすすんでくる
その蓋のついた小さな手桶は
今日ははたけへのみ水を入れて来たのだ
今日でない日は青いつるつるの蓴菜を入れ
欠けた朱塗の椀をうかべて
朝のさわやかなうちに町へ売りに来たりもする
鍬を二梃ただしくけらにしばりつけてゐるので
曠原の淑女よ
あなたがたはウクライナの
舞手のやうに見える
 …… 風よたのしいおまへのことばを
     もっとはっきり
     この人たちにもきこえるやうに云ってくれ……
                (宮沢賢治)

この詩を初めて読んだ時にイメージし、憧れたのは
広々とした緑の丘がある、平和で美しいウクライナの景色。
これからもそんなところであって欲しい。
戦火など誰も望まない。
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St Valentine's Day

2022-02-14 | 世界・平和

世界中の人たちが
愛と幸福を感じられる日でありますよう。

写真は釜石の恋人の聖地。
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レッグウォーマー

2022-01-27 | 世界・平和

若い頃は、暑さには滅法弱かったが寒いのは割に平気だった。
「服を脱いでも暑いけど、寒いのは着ればいい」と思っていた。
しかし歳を重ねるごとに
夏の暑さに平気になってきたのと反比例するように
寒さがかなり堪えるようになってきた。
代謝が落ちてきたのか、筋肉量が減ってきたためか
50代初めぐらいからめっきり冬の寒さを辛く感じ始めた。
東京赴任時には、冬は帰省したくなかったほど。
特に事務所仕事の最中など足元が寒い。

ということで、今冬から
妻が使わなくなったレッグウォーマーを借りて
常に身につけるようになった。
2種類あったのだが、暖かいのは短くて足首しか隠れない。
長いものは膝まで覆ってくれるが、だんだん落ちてくる。
しかもそれは薄くて効果が薄い。
両方重ねて使ったりしていたのだが、先日良いものを見つけた。

ネパリバザーロ(https://www.verda.bz)というNGOから、
花巻の雑貨店「おいものせなか(https://oimonosenaka.com)」が
仕入れて販売しているネパールの女性たちの経済援助のための商品。
すべてネパール女性によって手作りで作られているものの中に
手編みのレッグウォーマーがあったのだ。
デザインが目を引く。カラーリングが素敵だ。
早速買って履いてみると、程よい締め付けで足が浮腫まない。
しかも、もちろん暖かい。
足が長いわけではない😅私なら膝から足首までカバーしてくれる。
これ、いいわぁ。

冬はパンツの下にヒートテックや
これまでのレッグウォーマーが必要だったので、
ストレートタイプのパンツしか履けなかったけれど
このデザインならパンツの外側に身につけて見せても良い。
それにはスリムタイプのパンツが必要。
冬には出番がなかったパンツにも日の目が当たる(笑)
これから冬はこれを愛用(^^)
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外交と戦争

2022-01-14 | 世界・平和
歴史を学ぶと、何度もあった戦争の原因を知ることができる。
ひとつは侵略戦争。
自国の領土を拡大し、侵略した地域の資源や民衆を我が物にして、
自国の強大、拡大を図る戦争だ。
次に自衛戦争。
他国に攻め込まれて、侵略させまいと防衛する戦争だ。
そして外交決裂に伴う戦争。

日本における戦争を振り返ると、
日清、日露戦争は上記3つが重なり合っている。
朝鮮半島を巡る攻防戦だから、
当時の日本の首脳は「防衛戦」と言いつつ、
実は侵略にもつながっていて、外交決裂もあった。
日中戦争は、今考えればどう見ても侵略戦争。
こちらから戦闘を仕掛けた挙句、中国東北部(満州)を我が物にした。
太平洋戦争は、その満洲が引き金となり
外交決裂によって連合国軍相手の孤独な戦争だった。
しかしそれらの戦争は単独で行われたわけではないと考える。
日清戦争が日露戦争を招き、日露戦争が日中戦争を、
そして挙句は太平洋戦争の引き金となった。
何度も引き返すチャンスがあったにも関わらず、
ズルズル、あれよあれよと破局に向かって突き進んでしまった。
まぁ、戦争を回避して、あのまま大日本帝国が続いていたら
それはそれで今どうなっていたんだろうと恐ろしくなる。
徹底的な敗戦によって、日本は民主国家を手に入れた。
(だから簡単に手放してはいけない)

ところで、根本的に
外交決裂によって戦争となるってのはどうなんだろう。
戦争とは人と人との殺し合い。
人殺しの道具を大量に使っていかに相手を殺すかの戦いだ。
相手の利益とこちらの利益がぶつかり合った結果
殺し合いをするってのはほとんど反社会的組織がすること。
これほど空虚なことはない。
何も生み出すことなく(というか破壊しかない)非生産的な行為。
勝者、敗者になるのは国のトップだけで
一般市民は殺し合いの道具に使われるだけだ。

戦争はすべからく人間たちの欲によって引き起こされる。
欲と欲のぶつかり合い、正義と正義のせめぎ合い。
勝って喜ぶのは国や軍のトップと軍需産業だけ。
戦争になれば、一般市民が簡単に打ち捨てられることは
先の戦争を学べばよくわかる。

人は知恵の生物。
ちょっと考えればそんなことは簡単にわかるだろう。
戦争に踏み切る為政者は知恵が足りないのだとつくづく思う。
政治、特に外交は、知恵が試される場面だ。
国を動かす方々にはそれを肝に銘じて欲しい。

最近は世界的に「社員が宝」「社員を生かす」会社が伸びている。
社員ひとりひとりが力を発揮すれば会社は伸びる。
社員を捨て駒にする会社はいずれ滅びる。
国も同じだと思うんだなぁ。
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Happy Christmas

2021-12-25 | 世界・平和

War is over if you want it.

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Christmas Eve

2021-12-24 | 世界・平和

世界中の人々が笑顔で過ごせる日でありますように。
Merry Christmas。
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歴史に学ぶ・・・選択

2021-12-09 | 世界・平和
太平洋戦争開始から今年は80年。
テレビでもネット記事でも特集が目白押しだ。
経験した方がどんどん少なくなってきている現代において
貴重な証言を聞けるのは今しかない。
そして歴史研究も進み、今になって知ることも多い。
歴史に学ばなければ、人間はまた愚かな失敗を繰り返す。
学ぶのは、もしかしたら今が最後のチャンスかも知れない。

対米戦争を回避しようとしていた昭和16年春から秋。
天皇から「外交で解決を」との指示がありながら
なぜそれを回避できなかったのか。
当時の首相東條英機の日記が残っているという。
「お上の期待を考えても、戦争を回避すべきなのだろうが
 アメリカの要求を飲めば
 これまで犠牲になった兵たちの命が無駄になる」
そう考えた東條は開戦の道を選ぶ。
山本五十六をはじめとした海軍良識派や
陸軍参謀たちの「対米戦は無理」の声を無視して。
ここに重大な選択ミスがあった。

しかし実はその前にたくさんの選択ミスがあった。
そのひとつでも無ければ、こんな歴史になっていなかったろう。
例えば対中国との戦争。
不拡大路線を唱えていた当時の近衛首相は徹底できなかった。
例えば蒋介石も検討していた中国国民党との和平交渉。
それが実現できていれば戦争が拡大することもなかったし
そもそも現代のような中国共産党独裁もなかった。
(現在の米中、日中関係は、当時の日本が招いたとも言える)
例えば、ドイツに過剰な期待を抱いた三国同盟。
あまりに安易に頼った結果で、
それはのちにドイツによるソ連侵攻で裏切られた。

そして対米戦争での国民へのウソ。
昭和天皇も、東條首相も
「自存自衛の戦争」と意味づけていたにもかかわらず、
国民には「アジア解放のための聖戦」大東亜戦争と喧伝した。
その一方で、仏領、英領インドシナへの侵攻は
兵站が伸びきっていて食料も軍備も補給できずに
侵攻部隊には「食料は現地調達」が指示された。
その結果が略奪、強姦などの規律の乱れ。
「食料は現地調達」を支持した参謀本部の高級将校が
現地視察してほぞを噛んだという。

戦争の終結方法も事前に検討されることもなく
ずるずると日本は泥沼へ。
鳥の羽より軽いと言われた兵たちの命は無駄に消えた。
そんな歴史を今学ばなければ
また我々は選択を誤ってしまうだろう。
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IMAGINE

2021-12-08 | 世界・平和

決して夢想なんかじゃない。
世界中みんなで目指すべき方向性が必要。
「現実を見ろ」と言われるが
現実に対応ばかりし、近視眼的だと方向性を見失う。
みんなで願えばそれはみんなのベクトルになる。
そんなことを教えてくれた人の、今日は命日。
奇しくも80年前に太平洋戦争が始まった日でもある。
これは何かの暗示だろうか。

Johnの魂は永遠に生きる。


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人と人

2021-11-02 | 世界・平和
ジェンダーの問題が今回の選挙でも争点のひとつになった。
姓の選択、ガラスの天井、マイノリティ・・・。
でもさ、マジョリティって何なんだろうね。
みんな違いを怖がり「他と同じ」という世界に群れたがる。
とはいえ人はそれぞれみんな違う。
人と同じというのは幻想だ。
性別、仕事、家庭、生育環境、学歴、嗜好、趣味・・・
ビジュアルもひとりひとり違う。
自分と同じものだけ追い求めるのではなく
まずは違いを知ること。
知っているようで意外に知らないことが身近にはたくさんある。
例えば、以前ここに書いた↓



普段ギモンにすら思っていなかった違いがわかる。
そして、知った上で今度は認め合う。
性の問題だけではない。
国籍、人種、宗教、生活習慣、価値観・・・
みんな同じだ。
相手に立場に立って、自分ごととして想像してみよう。
そうすれば人と人の間の壁は低くなる。
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カメラマン・サワダの戦争 〜5万カットのネガは何を語るのか〜

2021-10-28 | 世界・平和

先日、NHK BSPで放送されたこの番組を見た。
番組宣伝を見て録画してみたんだけど、
1982年に放送された番組のアーカイブだったことに驚き。
このころ私は沢田教一の名を知らなかったから
リアルでの放送は見ていない。
40年経った今、改めて見られたことに感謝。

1982年というと、沢田がカンボジアで命を落としてからまだ12年。
ベトナム戦争終結からも7年しか経っていない。
ベトナムでも、ラオスでもまだまだ戦後が残っているころだ。
カンボジアに至ってはまだ内戦中。
そんなところにロケに行った取材陣も、妻の沢田サダさんもすごい。
そして一番の衝撃は、
冒頭に流された、沢田教一が狙撃された瞬間の映像。
こんなものが残っていたなんて。

沢田はUPIの戦場報道カメラマンだったから
最前線の凄惨な写真ももちろんたくさんあるのだが、
ピューリッツァー賞を獲得した「安全への逃避」も含め
こどもや農民、女性の写真が多いイメージがある。
印象的なのは被写体となった人々の目。
兵士も、傷ついたこどもも、逃げ惑う人々も
総じて虚な目をしている。
もしかしたら沢田は、
あの目を撮りたかったのではなかろうか。
あれこそが戦争の実態だと。
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浄土思想

2021-10-23 | 世界・平和
岩手に暮らしていて良かったと思うことが2つある。
ひとつは差別がないこと。
「被差別」と言う言葉や概念がないので、
みんな普通に自分が住む地域を「」と躊躇なく言う。
多国籍の人も同級生にいたが、普通に友人として接していた。
なにより他国の食文化である冷麺やじゃじゃ麺などを
自分たちの文化として抵抗なく取り入れている。
美味しいものは美味しい、それだけ。

もうひとつは、
他地域を1度もこちらから攻めたことがないこと。
戦は必ず他所からやってきた。
坂上田村麻呂しかり、源義家しかり、源頼朝しかり、
そして戊辰戦争時の新政府軍だ。
平和で穏やかに暮らしてきたこの地の人々は
そのたびに戦に敗れ、征服されてきた。
それでも、特に頼朝が攻めてきた頃の平泉の国は
浄土思想により、敵味方問わず戦死者を手厚く葬ってきた。
そして、ちゃんとこの地ならではの文化は残り
人々は変わらず平和に暮らし続けてきた。

他国脅威論がいろいろと語られる昨今の世の中。
それに対抗すべく「防衛力」強化が図られ続けている。
それらはすべて税金が投入し続けられているもの。
人を殺すために作られた武器の均衡で平和が守られるのだろうか。
暴力は暴力しか生まないのではないか?
税金は、私たちの社会が私たち自身のために維持されるべく
みんなから公平に集められるもの。
それが一部の人々の「脅威論」によって多額投入されている。
それが「当たり前」の状態だろうか。
誰も殺し合いなど望んでいないだろう。

第二次大戦で日本は敗れたがその後の日本はどうなった?
日本文化や慣習、日本人としてのアイデンティティは失われた?
人の命を犠牲にする考えのもとに他国を凌駕することが
果たしてこの国のあるべき姿?
それよりも、この国の社会の一員として
みんながほとりひとり笑顔で幸せを感じることこそ
目指すべき姿じゃないの?

と、歴史を眺めながらふと思う。
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シャンティ国際ボランティア会40周年

2021-10-10 | 世界・平和


私がシャンティ国際ボランティア会(SVA)の
維持会委員になってからもう20年になるのかな?
ってことはSVAの歴史の半分ほどになる。

きっかけは、SVA主催のアジアこども文化祭に
我々上根子神楽の子たちが日本代表として参加したこと。
当時、SVAのことをいろいろ知りたくて
主催者側の方々といろいろ話をしたのだが、
聞いてみると幹部がみんな私と同年代の方々ばかり。
どうやら彼らが大学時代に、
カンボジア難民キャンプの支援を行ったことがSVAの元であり
その時のメンバーが主要スタッフであることがわかった。
その頃、同じように大学生だった私は
毎日のんべんだらりとした学生生活を送っていたのだが
もしかしたら教室の隣に座っていた学生が
そんな活動をしていたのかもと思うと自責の念に駆られた。
せめてその時からでも、できることで微々たる支援でも・・・と
さっそく維持会員になり、毎月の維持費を納めてきた。

今の私の仕事はコロナの影響でしんどい。
でもSVAの維持会員だけはできるだけ続けていきたいと思う。
そんなことを考えていた数日前
SVAの機関誌に40周年記念事業のチラシが同封されてきた。


かつてはタイ、カンボジア、ラオスのスラムに暮らしていたり
少数民族だったりしたために教育に恵まれない子たちへの支援を
現地事務所を中心に行ってきたSVA。
今では活動の地域を広げたミャンマーやアフガニスタンで
政治情勢、治安情勢がかなり悪化している。
子どもたちへの教育支援と同時に
現地からの情勢報告もまた貴重な情報として受け取っている。

国際支援の仕事は、上から目線で援助することではない。
ましてODAのように金だけ出せばいいわけでもない。
(ODAの場合、結局その金はほとんどが日本企業に入る)
「並んでともに歩く」ことをSVAから教えられた。
例えば、女性たちの生活支援のために
手作り雑貨を買うという支援の仕方(クラフトエイド)がある。
それは「買ってあげる」のではなく
「自分も気に入った買い物をする」ことによって
結果その人たちの生活にゆとりをもたらし
学校へ行けるこどもたちを増やすことにつながってくる。

ということで、
今回も同封されてきた、それらのカタログをじっくり眺める。




もちろんネットでも購入も可能。
少数民族の伝統的な文様の刺繍や色使いはとても美しい。
私はアカ族、リス族のデザインがとても好きだ。
興味を持たれた方はぜひどうぞ。


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交流

2021-09-30 | 世界・平和
韓国に住む友人がいる。
以前東京に単身赴任していたときに
留学していた彼と知り合ったのだった。
私も東京時代お世話になった天ぷら屋ご夫妻を
「お父さん」「お母さん」と呼び
私にとっても弟(あるいは甥?)みたいな存在だった。
facebookでも繋がっているが、
最近は記事upも無くて、
どうしているかなと思っている。

15年ほど前に英会話教室に通っていた時
中国四川省出身の人と知り合った。
とても聡明な女性で、会話が楽しかった。
天安門事件も経験していたと言っていたが
詳細は「また今度ね」と言ったまま
それっきりになってしまった。
私がもう少し英語に堪能なら、
もっといろいろ話せたろう。
あの頭に良さにリスペクトを感じていた。

その英会話教室ではニュージーランドやアメリカの人たち、
今も会員になっているNGOではオーストラリアやタイの人たち、
そのNGOのイベントではベトナムの人とも交流できた。
私の従姉妹たちの中にはアメリカやイギリスに住み
その地の人と結婚している者も数人いる。
マチココでは27号からイラストを
アメリカ生まれに人に依頼している。
中学時代には、いわゆる在日といわれる同級生たちもいて
みんな同じ同級生として付き合った。

もっともっといろんな国の人たちと交流したい。
南米や西欧や東欧、ロシアはもちろんのこと
特にアフリカや中東、中央アジアの人たちと知り合いたい。
もちろん中国や韓国、なんなら北朝鮮の人たちとも。
そうやって、個人対個人ではすぐに仲良くなって話せるのに
どうして国と国になると面倒な話になるのか。
もちろん他国出身の友人たちとも結構深い話もするのだが
相手の話を聞けば聞くほど、立場や価値観の違いがわかって面白い。
なるほどそういう考え方ならそうなるよねという理解もある。

もしも国同士では面倒な話しかできないのなら
もう「国」という概念は要らない。
個人ベースでの交流があればそれでいい。
そんなことまで考える。
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20年前

2021-09-12 | 世界・平和
出勤前に身支度を整え、
NHKニュースを見ながら朝食をとっていた。
突然「NYの貿易センタービルで爆発があったようです」と
ニュースの画面が現地からの生中継に切り替わった。
ツインタワーの片方から黒煙が上がっている。
「旅客機が衝突したようです」とのアナウンサーの声。
事故と思い、「こりゃあ大惨事だ」と画面を注視していた。
すると黒煙を上げているビルの後ろ側に隠れていたもうひとつのビルに
見る間にもう1機が突っ込んでいき、爆発。
その瞬間がまるでスローモーションのように思えた。
なにごとが起きたのかわかなかったであろうアナウンサーも絶句。
そうやってその日は始まった。

出勤後、昼休みに食事をとりに外出し
昼食をとりながらまたニュースの目を凝らす。
どうやらNYだけじゃなく、ペンタゴンにも突っ込んだようだ。
もう1機どこかに墜落したという報道もあった。
こりゃあ大変なことだ。
その日のニュースはこのテロで持ちきりだった。
日本政府からは、続くテロを警戒して
海外渡航の警戒と見直しが全国に呼びかけられた。

実はこの年の翌月、10月に上根子神楽初の海外遠征の予定があった。
シャンティ国際ボランティア会(SVA)主催の
アジア子ども文化祭(ACCF)に
日本代表で出演するうちの神楽の子どもたちを連れて
タイに向かう予定になっており、その準備が進んでいた。
日本政府からの呼びかけを受け、その週のうちに
遠征に同行予定の神楽代表、副代表など関係者が集まり私も参加。
予定通りの遠征を行うことの是非について話し合われた。

長いこと議論した結果、予定通り行くことに。
「海外遠征のチャンスは逃したくない」
「子どもたちにとっては貴重な体験となるだろう」
「飛行機だから、なにかあれば一瞬だろうが
 いざという時は我々大人が子どもたちをできるだけ守ろう」
みんな決死の覚悟、普段は駄洒落ばかりの代表も
その時ばかりは真剣な表情だったことは忘れられない。
飛行機は他にほとんど乗客がいなくてガラガラだったから
そういう意味では(怪しい人も乗っておらず)少し安心。
期待通り、本当に貴重な体験ができた。
その体験と2年後の2度目のACCF参加体験により
ウチの長男のその先の進むべき道決まったほど。

帰りの飛行機はそれなりの混み具合になっていた。
途中、格好がムスリムっぽいアラブ系の人がトイレに立った時、
乗客のほとんど全員が一斉にその人を注視したことがあった。
その人は苦笑しながら手を振ってトイレに入っていった。
なんかその姿を見て、ムスリムの人たちにも親近感を覚えたものだ。
ムスリム=テロリストではない。
リベラル=新左翼ではないように。
保守派=反社会的右翼ではないように。
価値観の違いはあって当たり前。
日本人同士、岩手人同士であっても価値観の違いはある。
お互いその違いを認め合い、尊重し合うことが
結果的に暴力を避けることにもつながっていくということを
20年前のこの体験で学んだ気がする。
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