4月6日(土)の日光東照宮観光から(その1)。
50代(?)になってから、その前よりも社寺を興味深く観るようになったと思う。今回は世界遺産だし、事前に見どころを調べたりもした。初めて知ることも多い。なので、気になった所は記録しておこうと思う。
そもそも東照宮とは・・・、徳川家康が亡くなり、遺言通り久能山へ埋葬され、1年後の1617年(元和3年)4月に日光に社殿が完成すると、家康の墓は日光の地に移り「東照社」として祀られた。その後、1634年(寛永11年)頃から、お爺ちゃん大好きな3代将軍の家光が東照社の大改築を実施し、奥宮なども建てられ、1643年(寛永20年)に完成。1645年(正保2年)に朝廷より「東照大権現」の宮号を賜り、「東照宮」に改称した。
その後、明治元年(1869年)の神仏分離により、日光は神社の東照宮・二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立した。という歴史。
広い参道を緩やかに上ると、最初に東照宮の石鳥居が見えてくる。
●石鳥居(一の鳥居)〔重要文化財〕
元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納され、石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれた。
高さ9.2m、柱間6.7mの鳥居を見ると柱には継ぎ目がある。バラバラに運んで現地で組み立てたもの。陸路の移動を考えると相当な労力が必要だったのだろう。
●五重塔〔重要文化財〕
石鳥居をくぐると左側に五重塔が屹立している。
慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された後、文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。
東照宮五重塔心柱特別公開期間で、五重塔の初層内部を公開し、塔の中心を貫く心柱を観ることができた。拝観料を払うと、五重塔と東京スカイツリーをデザインした記念クリアファイルも付いてきた。スカイツリー建設の際に五重塔の「心柱制振」と呼ばれる地震緩和システムが応用されたという。
内部は撮影禁止。床下の様子を外から見ることができる。心柱は四層目から吊るされ、底部は磯石から約10センチ上で浮いていた。
ちなみに、一層目の蟇股(かえるまた)という欄干部分には十二支の彫刻がある。
東照宮には多数の霊獣・動物の彫刻があるが、鼠・蛇・馬の3種類は五重塔以外には無いらしい。
参道をさらに進んで拝観受付をし、石段を上ると東照宮最初の門(表門)がある。
●表門(仁王門)〔重要文化財〕
左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれる。但し、裏側は唐獅子・狛犬の像がある。特徴的なのは戸口上部の「獏(ばく)の木鼻」や、主柱の上に設けられた「牡丹の彫刻」など。
●三神庫(さんじんこ)〔重要文化財〕
表門を入ると、右側に下神庫、正面に横長の中神庫、その左に上神庫がある。これらを総称して三神庫と言い、馬具や装束類が収められている。↓中神庫~上神庫。
上神庫の屋根下には、有名な「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がある。
●神厩舎(しんきゅうしゃ)〔重要文化財〕
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)。昔から猿が馬を守るとされているところから、猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているそうだ。
有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻はこの内の1面。
●唐銅鳥居(二の鳥居)
この唐銅鳥居は、東照宮創建時に造営されたもので、「日本最古の青銅製の鳥居」という。
●鐘楼 (しょうろう)・鼓楼(ころう)
さらに階段を上がると、右側に鐘楼、左側に鼓楼があり、それぞれ釣り鐘と太鼓が納められている。2つの建物は左右対称で、かなり大きい。↓鐘楼を横から。
鼓楼を階段上から。
さて、まずは東照宮の第1回目として綴ってきたものの、こんな感じで続けられるだろうか・・・(大変)。
〈日光山内記録〉※追記
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼
東照宮:絢爛豪華『陽明門』
東照宮:唐門・眠り猫・奥宮
東照宮:神輿舎・銅燈籠・他
日光『二荒山神社』
必見!輪王寺『大猷院』
日光に行ってこられたのですね。
晴天に恵まれて良い旅になったでしょう。
桜じゃ無いけど、杉並木も良かったので
は?
久しく行っていないですが、高速を使えば
自宅から車で日帰りできる所です。
あのときは中禅寺湖にもいったはず。
やはりもう一度行ってみたいです。
有料道路を通ったので杉並木は通らなかったんですよ。またの機会に。
地理さんも、平成の大修理後にまだであれば、是非。
平成の大修理が行われたのも良いタイミングでした。
まだ続きますが、とても良かったです。