先週、広島県へ出張することになり、目的地ではないが移動時間の都合で竹原市に前泊することになった。竹原市は全くと言ってよいほど知らないところ。
ホテルに置いてあるパンフレットで「町並み保存地区」があることを知る。フロントの方に聞くと、江戸時代からの街並みで、連続テレビ小説『マッサン』のモデルになった主人公の生家があったり、映画『時をかける少女』のロケ地になっているとか、熱心に語ってくれた。
昔の街並みがあるのなら見てみたいし、最初で最後の機会かもしれない。せっかくなので、翌日の朝食後に町並みを散歩することにした。
平安時代、京都・下鴨神社の荘園として栄えた歴史から、「安芸の小京都」と呼ばれる竹原。
国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定された町並みは、江戸時代に開発された竹原塩田によって栄え、漆喰塗籠の町家が並ぶ重厚な街並みが築かれたという。
パンフレットには、町並みの略図に歴史のある建物が記されており、これをガイド代わりにして見て回った。
竹鶴酒造は古くから酒造りを営み、屋号は「小笹屋」。ニッカウヰスキーの創業者で、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴正孝の生家。
NIPPONIA HOTELは、点在する歴史ある邸宅をリノベートした、小規模分散型ホテル。
竹鶴正孝と妻リタの銅像もあった。傍らの石碑には「よいウヰスキーづくりにトリックはない」と刻まれている。銅像正面の建物は、歴史民俗資料館。
春風館は、医者を開業した頼春風の邸宅。武家屋敷風の長屋門と門構えをもつ数寄屋風建築。隣接する復古館は、春風の孫が商業を営んだ木造切妻造二階建の本瓦葺の数奇屋建築。いずれも国の重要文化財に指定されている。
旧松阪家住宅は、当地区の代表的な商家の建物。唐破風の波打つような独特の大屋根や2階の菱格子の出窓など、華やかな建築意匠。市の重要文化財。
西方寺本堂横の高台に位置する普明閣は、京都の清水寺を模して建立された。ここから竹原の町並みが一望できる。西方寺の石段がロケで原田知世の通学路だったという。
江戸時代末期に建てられた酒蔵の一角を改造した酒蔵交流館。
大小路(おおしょうじ)と呼ばれる江戸時代の横丁は道幅が狭く、長屋門の格子や漆喰壁が往時の雰囲気を伝えている。
リーフレットを片手に歩いているとき、竹鶴酒造の入口から出てきた従業員の方と通りの反対から歩いてきた方から「おはようございます」と挨拶され、少し嬉しい気分になった。
ホテルから10分ほどの往復込みで1時間強の散歩。戻りは小走りで朝なのに額に汗をかくくらいだった。
初めての土地だったが、歴史のある街は興味深い。日本にはまだまだこういう所があるのだろうな~。行ってみたいね~と思ったさ。
下記の左は、その後に乗船したフェリーで、右は三原駅で乗換を間違えた記録。
三原駅で乗り換えて出発する時間は覚えていたが、まさか同時刻で他にもあるとは・・・。アナウンスで「アレッ?」と思い、近くの高校生?に聞くと違うホームだと言う。あわてて行くが階段上り途中で出発した。
次の電車を確認すると1時間ほどある。エー!だ。とりあえずホーム上の待合室で待っていると、ほどなく電車が入線してきた。出発まで40~50分あるが・・・。隣の高校生に確認すると、この電車で良いそうだ。しかも、乗車して待っていられるという。
それならばと、改札で喫煙場所を聞き、そこで加熱式タバコを1本吸い、構内の売店で乾き物と缶ビールを購入し、電車に乗って飲みながら待った。ご当地のえびせんは海苔がきいてて旨く、出発までにビールと両方終えた。・・・地方の電車乗り換えには気をつけよう。
町の中に保存状態の良い建築物が
色々ありそうで面白いですね。
行きたいなぁ。
小京都と言えるしっとりとした街でした。懐かしいです。
明日は3月11日、東日本大震災から13年。今年1月1日の能登大地震から70日、黙祷を捧げ天災の日々を願いましょう。
「平凡で健康無事な日々こそが 最上幸福 天災見て知る」
出張の有効活用、得した気分ですね。
プライベートでもっと時間があったらガイド付きで巡りたいと思いました。
この町並みは一見の価値があると思いました。
黙祷。
遠距離通勤のおかげ?か、通常の時間に起きれば、朝は自由時間があります~。有意義でした。
というか、昔から自転車乗りなのですね~、旅先でも~。