4月から始まった『瞳』に対して一向に気合いが入らないところをみると、『ちりとてちん』(1,2,3,4,5,6,7,8)は相当におもしろかったのだと思う。
目標に向かって頑張る女の子が周囲の人々に励まされながら、さまざまな試練を乗り越えていく様子を描く。朝の連ドラのヒロインに共通するテーマである。今回の『瞳』の舞台は東京の月島で、昔ながらの人情が色濃く残る町だ。いろいろな事情で実の家族と暮らせない子どもたちを里子として引き取り、我が子同様に育てる里親家庭という、少々特殊な設定がある。祖父が里親となって3人の子どもと暮らす家に、瞳は祖父の補助者として同居し、子どもたちの世話をすることになった。しかし瞳にはヒップホップダンサーになるという大きな夢がある。今週はその夢と里親としての仕事が早くも両立できず、祖父と大げんかをして家出してしまった。
このヒロインはふたつのことを両立しようとしている。
里親の仕事とダンスの勉強。両者に共通性は感じられず、時間的にも精神的にも両立は難しいと思われる。
実際、それまで瞳は子どもの世話を一生懸命していたが、4月になってダンスの授業がはじまるやいなや、ダンスに夢中で家事もおろそかになる。ご近所が集う恒例のお花見をすっぽかし、祖父は怒り心頭。「ダンスなんかやめちまえ!」となってしまった。
自分のしたいことがすぐに仕事にできる人はほんのわずかである。それを目指して瞳は頑張っているのだが、プロになれるかどうかはわからない。バイト先の食堂の主人や常連客から「ダンスやって、何になるの?」と聞かれて瞳はあれこれ夢を語るのだが、周囲はピンと来ない様子である。地道に商売をし、顧客の信頼を得る堅実な仕事を自信と誇りをもってしている大人からすれば、瞳のダンス熱は理解できないのだろう。さらにダンスが瞳にとっていかに大切で、それがなければ生きていけないくらいであっても、それを生業としない限り、第三者からみればダンスは趣味であり、もっと言えば道楽、遊びと映るかもしれない。ダンスなどしなくてもみなくても、まったく問題なく日々の生活はできるのだから。仕事とはたとえ僅かでもお金を得ることだ。里親とダンスは等価のようで、実は大変な違いがあるのだ。「あたしには花見よりもダンスが大事なの」と瞳は啖呵を切るが、「仕事」をおろそかにしては弁解の余地がないだろう。
あまり一生懸命みていないのに結構長々と書いてしまった。自分がお金を得ている「仕事」とその周辺の人と、どうにかもっと「仕事」にしたいと願っていることと、それに関わっている人のメンタリティの違いは非常に大きく、自分の中でバランスを取るのが危ういと感じることがある。上手に割り切って、時間と体力をうまく割り振ればできるのだろうか。どちらも一生懸命やらねばならない。どちらの人ともよい交わりをもちたい。瞳はこれからもたくさん悩むだろう。2足の草蛙わらじを履くのは、容易なことではないのである。
目標に向かって頑張る女の子が周囲の人々に励まされながら、さまざまな試練を乗り越えていく様子を描く。朝の連ドラのヒロインに共通するテーマである。今回の『瞳』の舞台は東京の月島で、昔ながらの人情が色濃く残る町だ。いろいろな事情で実の家族と暮らせない子どもたちを里子として引き取り、我が子同様に育てる里親家庭という、少々特殊な設定がある。祖父が里親となって3人の子どもと暮らす家に、瞳は祖父の補助者として同居し、子どもたちの世話をすることになった。しかし瞳にはヒップホップダンサーになるという大きな夢がある。今週はその夢と里親としての仕事が早くも両立できず、祖父と大げんかをして家出してしまった。
このヒロインはふたつのことを両立しようとしている。
里親の仕事とダンスの勉強。両者に共通性は感じられず、時間的にも精神的にも両立は難しいと思われる。
実際、それまで瞳は子どもの世話を一生懸命していたが、4月になってダンスの授業がはじまるやいなや、ダンスに夢中で家事もおろそかになる。ご近所が集う恒例のお花見をすっぽかし、祖父は怒り心頭。「ダンスなんかやめちまえ!」となってしまった。
自分のしたいことがすぐに仕事にできる人はほんのわずかである。それを目指して瞳は頑張っているのだが、プロになれるかどうかはわからない。バイト先の食堂の主人や常連客から「ダンスやって、何になるの?」と聞かれて瞳はあれこれ夢を語るのだが、周囲はピンと来ない様子である。地道に商売をし、顧客の信頼を得る堅実な仕事を自信と誇りをもってしている大人からすれば、瞳のダンス熱は理解できないのだろう。さらにダンスが瞳にとっていかに大切で、それがなければ生きていけないくらいであっても、それを生業としない限り、第三者からみればダンスは趣味であり、もっと言えば道楽、遊びと映るかもしれない。ダンスなどしなくてもみなくても、まったく問題なく日々の生活はできるのだから。仕事とはたとえ僅かでもお金を得ることだ。里親とダンスは等価のようで、実は大変な違いがあるのだ。「あたしには花見よりもダンスが大事なの」と瞳は啖呵を切るが、「仕事」をおろそかにしては弁解の余地がないだろう。
あまり一生懸命みていないのに結構長々と書いてしまった。自分がお金を得ている「仕事」とその周辺の人と、どうにかもっと「仕事」にしたいと願っていることと、それに関わっている人のメンタリティの違いは非常に大きく、自分の中でバランスを取るのが危ういと感じることがある。上手に割り切って、時間と体力をうまく割り振ればできるのだろうか。どちらも一生懸命やらねばならない。どちらの人ともよい交わりをもちたい。瞳はこれからもたくさん悩むだろう。2足の草蛙わらじを履くのは、容易なことではないのである。
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