因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

オペラシアターこんにゃく座『オペラ クラブ マクベス』

2007-09-27 | 舞台
*ウィリアム・シェイクスピア原作 小田島雄志訳 作曲・芸術監督 林光 台本・演出 高瀬久男 公式サイトはこちら シアタートラム 公演は16日で終了

 舞台中央に小さなドアがあり、扉には「CLUB MACBETH」と描かれている。酔っぱらった中年男(大石哲史)がドアを叩くと、バーテンダー(井村タカオ)が現れ、男を店内に誘う。人生に疲れた男が迷い込んだ謎のクラブで上演される一夜の芝居という趣向か。男はこの話をまったく知らないが、芝居をみているうちに次第にその世界に引き寄せられ、いつのまにか自分が主人公のマクベスになってしまう。

 数百年前に外国を舞台に書かれた話を、いかに現代の物語として観客に提示するか。古典劇上演の大きな課題であるだろう。今回のこんにゃく座は「男」をまず物語と客席の橋渡しな存在とした。彼が『マクベス』に対して抱く疑問を率直に話させ、それを狂言回し的存在のバーテンダーが受ける形で観客を導いていく。バーテンダーは劇中でも複数の役を演じ、道化のような印象もあった。しかし劇中劇にもちゃんと「マクベス」を演じる俳優がおり、「男」が主役になりかわったあとも、その「元マクベス」の俳優が何とも中途半端に違う役で舞台に出ているのが気になった。もしかしたら「二人マクベス」のような展開になるのかと予想したのだが、最後は「男」はまるで物語に取り憑かれたようになって死んでしまう。

 ものすごく根本的なことを考えた。シェイクスピアの魅力は何だろう。なぜ遠い外国のお芝居がこの日本で繰り返し上演され、俳優は演じることを願い、それをみにいく観客が絶えないのだろうかと。恋する心や権力への野望、自分はいったい何者なのかという問いかけは、時代や国を問わず人間が自然に抱く感情である。物語の時代背景は現代とは遠くかけ離れているし、人物の造形が少々極端であっても、ふと漏らしたひとことの台詞、演じる俳優の表情やしぐさに「自分も同じことを考えた」「その気持ち、わかる」と実感できる瞬間があるから、シェイクスピアはいつまでも古びず、新鮮な発見を持ってこちらに迫ってくるのではないか。原作じたいが得体の知れないエネルギーを内在しているものであり、それに新たな趣向を加えるというのは大変な冒険で、うっかりすると趣向が趣向で終わってしまうリスクがある。

 こんにゃく座は,メンバー全員が歌えて演技もできるという稀有なカンパニーである。そのよさをもっと活かし、新鮮な舞台をみることができないだろうか。

 

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