*シャン・カーン作 小田島恒志訳 栗山民也演出 新国立劇場小劇場 公式サイトはこちら 公演は28日まで
見逃したら大変な後悔をするところだった。それは本作が、新国立劇場の芸術監督である栗山民也が新進気鋭のパキスタン系イギリス人劇作家のシャン・カーンに委嘱して、これが世界初演の舞台であるというプロジェクトとしての特殊性、話題性を抜きにしても、母(銀粉蝶)とふたりの子どもたち(姉:中嶋朋子と弟:北村有起哉)の物語は、外国の一家族の問題とは思えなかった。翻訳戯曲の上演で外国人の役を日本人が演じるのをみると、どうしても違和感があるものだが、本作はこれがイギリスの話であるとか、娘がイスラム教徒であるなどということをいつのまにか考えなくなっていた。これは彼らだけの話ではない。
だいぶくたびれてはいたもののそれなりに続いていた家族が、今度という今度はほんとうに崩壊してしまいそうなギリギリの様子がつぶさに描かれる。作者のシャン・カーンは観客に容易に先を読ませず、安易な希望も抱かせない。たった3人の家族なのに、心を許し合って共に生活することは不可能なのだろうか。ならば言葉も民族も宗教も違うものが理解しあうこと、世界が平和になることなど、どだい無理ではないか。
終幕は、正直あっけない印象であった。自分はもう1シーンあると思っていたし、ストンと暗くなってカーテンコールになったときは「こ、ここで終わりか?!」と混乱した。お芝居の終わりであるという気構えが出来ていなかったからである。よれよれに傷ついた弟の姿が忘れられない。彼が立ち直るには時間がかかりそうだ。
できればもう一度みたいし、本作が国内外のいろいろなカンパニーで上演されることを心から願う。劇の内容が変わるわけではないのだが、みる側の捉え方がそのときによって微妙に変化する作品ではないかと思う。幸運にも世界初演の舞台をみることができた今夜の自分は、終幕に微かに感じた薄明かりのような希望を信じたいと思っている。
見逃したら大変な後悔をするところだった。それは本作が、新国立劇場の芸術監督である栗山民也が新進気鋭のパキスタン系イギリス人劇作家のシャン・カーンに委嘱して、これが世界初演の舞台であるというプロジェクトとしての特殊性、話題性を抜きにしても、母(銀粉蝶)とふたりの子どもたち(姉:中嶋朋子と弟:北村有起哉)の物語は、外国の一家族の問題とは思えなかった。翻訳戯曲の上演で外国人の役を日本人が演じるのをみると、どうしても違和感があるものだが、本作はこれがイギリスの話であるとか、娘がイスラム教徒であるなどということをいつのまにか考えなくなっていた。これは彼らだけの話ではない。
だいぶくたびれてはいたもののそれなりに続いていた家族が、今度という今度はほんとうに崩壊してしまいそうなギリギリの様子がつぶさに描かれる。作者のシャン・カーンは観客に容易に先を読ませず、安易な希望も抱かせない。たった3人の家族なのに、心を許し合って共に生活することは不可能なのだろうか。ならば言葉も民族も宗教も違うものが理解しあうこと、世界が平和になることなど、どだい無理ではないか。
終幕は、正直あっけない印象であった。自分はもう1シーンあると思っていたし、ストンと暗くなってカーテンコールになったときは「こ、ここで終わりか?!」と混乱した。お芝居の終わりであるという気構えが出来ていなかったからである。よれよれに傷ついた弟の姿が忘れられない。彼が立ち直るには時間がかかりそうだ。
できればもう一度みたいし、本作が国内外のいろいろなカンパニーで上演されることを心から願う。劇の内容が変わるわけではないのだが、みる側の捉え方がそのときによって微妙に変化する作品ではないかと思う。幸運にも世界初演の舞台をみることができた今夜の自分は、終幕に微かに感じた薄明かりのような希望を信じたいと思っている。
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