因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新宿梁山泊第64回公演『恭しき娼婦』

2018-10-12 | 舞台

*Jean-Paul Sartre作 シライケイタ(劇団温泉ドラゴン)上演台本 金守珍演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターウェスト 14日まで1,2,3,4,5,6
 1963年、
唐十郎が状況劇場の前身である劇団シチュエーションの会旗揚げ公演で上演した作品が『恭しき娼婦』。それを上演するのは、師である唐十郎への敬意と同時に、ある意味で挑戦であろう。公演チラシには、「翻訳=芥川比呂志 演出協力=シライケイタ」となっていたが、本日手にした当日リーフレットからは翻訳者の名が消え、シライの上演台本を金が演出との記載である。これがどういうことなのか、観劇してようやくわかった。

 1946年初演の本作は、アラバマで起こった黒人による娼婦の強姦事件という実話からヒントを得て書かれたとのこと。アメリカ南部における黒人の人種差別を問題にした作品だ。
***ここから舞台の詳細を記載します。これからご観劇の方はご注意を***

 ひと言で言えば、今回の公演はサルトルの作品の翻案である。時代は少なくとも2018年の現在よりも先であり、場所は男(国会議員の息子/申大樹)の台詞では、東京から離れた「本州の端っこ」に設定されている。しかし女(サヘル・ローズ)の暮らす部屋の様子はやや古ぼけた西洋風のアパートメントの拵えである。登場人物の服装から時代を判別することは(わたしには)できず、男はi-padを出し、女の使う掃除機はメタリック調のしゃれたデザインだったり、かと思うと、終盤では「自警団」というまことに古めかしい台詞で、あたかも関東大震災当時のごとき扮装の男たちが登場し、原作において無実の罪で追われている黒人は朝鮮人に置き換えられ、すさまじい侮蔑と憎悪の様相が展開する。

 娼婦である女は途中から「サヘル・ローズ」と名を呼ばれ、わけあって東京から流れてきたこと、これまで日本で差別に苦しめられた体験を持つ女性として描かれる。イランで生まれ、イラン・イラク戦争の空爆で孤児となり、養母とともに来日して日本の学校に通い、俳優の道に進んだというサヘル・ローズ自身の身の上を反映した設定を示すのである。役を演じつつ、その人自身のことを舞台に乗せる趣向について、これをリアルであると受け止めることはたやすいが、自分は居心地の悪さを覚えた。役と俳優自身の距離感をどのように取ればよいのか。

 そして国会議員の息子である男は、父方の系譜を語り、国の行く末について狂気じみた熱弁を振るう。これが三選を果たした現首相の行状やその祖父の所業をあからさまに示す内容なのである。「本州の端っこ」というのは、まさか首相の地元・山口県のことなのか。

 細かいことだが、男たちは女のアパートへの出入りの際、まことに不自然な仕草で靴を脱ぎ履きする。ドアを開けて沓脱のスペースはない。靴のまま部屋に入らないのは、そこが日本のアパートであるからなのか。

 戯曲の翻案を否定はしない。むしろどんどん見たいと思う。しかしある面を変えると別の箇所に矛盾が生じたり、綻びが露見したり、一筋縄でゆかないことが少なからずある。それでも舞台を近未来の日本に設定し、サヘル・ローズをその名で舞台に乗せなければならなかったのだろうか。その劇的必然性について、自分は諾うことはできかねる。

 むしろ『恭しき娼婦』に真っ向からぶつかってほしかった。そこからサヘル・ローズその人のこれまでの苦難や、現代の世相をも批判する切り口を感じ取ることができれば、もっと刺激的で、舞台に生きる人々のみならず、演じる俳優その人の苦悩や悲しみを味わい深く感じ取る可能性があり得たのではないだろうか。

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