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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

こまつ座第九十七回公演『闇に咲く花』

2012-04-25 | 舞台

*井上ひさし作 栗山民也演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 29日まで (1,2,3,4,5,6,7,8)
 本作も『雪やこんこん』と同じく、初演をテレビ放送で、何度めかの再演を劇場でみたのちの3度めの観劇である。
 作る側もみる方も井上さんに新作を書いてほしい、とくに震災や原発事故に揺れる今の日本にあって、井上ひさしがどんなことを語ってくれるか、どんな作品にそれを結実させるのかを知りたい。
 本公演のパンフレットに演出の栗山民也のことばが記されていて、盛岡で講演を行ったとき、上記と同じ質問を受けて「井上さんが遺した67本の戯曲にはすべて、普遍的な言葉で人間に対するエールが書かれている。その中に必ず今の日本と日本人を映すものがあるはずです。今、残された作品を読んでください」と答えたそうだ。

 桜の季節に井上ひさしが逝ってもう2年たつ。完全な観客、読者である自分でも不在はやはり悲しく心細い。何か語ってほしい、自分たちに道を示してほしいのだ。
 しかし新作の発表はもはや望めず、これまでの作品をくりかえし再演する今、舞台には以前に増して活力と熱意がひしひしと感じられるようになった。
 井上ひさしの作品に出演できることをいっそう喜び、自分たちが井上ひさしの劇世界を受け継ぎ、そして次世代に伝えていこうという使命感であろうか。

 今回の『闇に咲く花』は2008年の上演と同じ配役での再演となった。2月に稽古をはじめて3月に静岡からはじまった全国52ヶ所94ステージの旅公演は夏まで続く。公演パンフレットを読むと、出演者は異口同音に再会を喜び、再演への決意を語っている。掲載された写真が皆さんとてもいい表情で、井上ひさし作品に関わる喜びに溢れる。
 こまつ座の公演に行くと親戚のうちに遊びにいったかのような気持ちになれる。この温かな心持ちは得がたいもので、けれどここでまったり安心していないで、いまの日本に生きる者として井上ひさしの舞台から何を読みとるか、次世代に伝えていくものは何かなのかを強く意識して観劇に臨まなければならないのだ。

 本作は戦争と神社の関係、C級戦犯の悲劇など非常に重苦しく救いを見出しにくい内容である。焼け残った神社のお面工場で働く戦争未亡人たちと神主のやりとりは楽しく、彼女たちがひいたおみくじが大吉を連発、つぎつぎに願いがかなうところは大いに盛り上がるが、戦死したはずの一人息子が帰還の喜びもつかのま、彼にはC級戦犯の容疑が降りかかる。

 それぞれの人物造形や、ぜんたいのチームワークがすばらしい。とくに神主の一人息子健太郎を演じる石母田史朗(青年座)と彼の親友で精神科医の稲垣役の浅野雅博(文学座)が魅力的で、「がんばれ」と声援を送りたい。
 2008年の公演のとき36歳だった浅野は「あと10年したら27歳の役はできない。運命だと思った」(4/12朝日新聞)とのこと。おふたりとも紅顔の美少年ふうの面ざしなので、27歳を演じるのにそれほど無理は感じられないけれども、浅野さんの実感は的確なものであろう。
 このつぎに本作が上演されるとして、石母田、浅野のコンビでもう一度練り上げられた舞台を望む気持ちがある一方で、新しい俳優さんに受け継がれていくことを願いたい。

 戦争を知らない人が戦中戦後の物語を作るわけである。そこにはおのずから先輩方から謙虚に学ぶ姿勢、戯曲にこめられた思いをつかみとる感性、風化させてはならないという義務感、いま自分たちが一生懸命やるだけでなく、つぎに演じる誰かにバトンを渡す責任感、戦争を知らない自分たちが劇世界において当時の生活を追体験するという貴重な経験を吸収する意欲が必要とされるだろう。

 正直に言うと、自分は本作に対してまだしっくりしないものがある。それがなぜか、どこにあるのかも考えながら、『闇に咲く花』が次の世代に受け継がれていくことを嬉しく思うのである。

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