因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『モジョ ミキボー』

2010-05-16 | 舞台

*オーウェン・マカファーティー作 平川大作翻訳 鵜山仁演出 公式サイトはこちら 下北沢OFF・OFFシアター 30日まで
 1970年アイルランドのベルファストを舞台に2人の少年、モジョとミキボーの出会いと別れが描かれる。文学座の俳優浅野雅博と石橋徹郎の2人が合わせて17役を演じるノンストップ80分。演出は同じ文学座の鵜山仁。ホームグラウンドから飛び出して、下北沢でほぼ1か月ものロングラン公演は企画じたいが珍しいのではないか。

 モジョ(浅野)とミキボー(石橋)はどこにでもいそうな学校嫌いのいたずらっ子だ。しかし2人は宗教が異なる。この違いは出会いの場面で、「どこから来た?」「丘の上から」(台詞は記憶によるもので正確ではありません。昨夜みたばかりなのに・・・)「おれは橋の向こうだ」という台詞で、互いの住む場所を知り、宗教の違い(カトリックとプロテスタント)が示される程度である。終幕、この違いが2人の関係を決定的なものにする。

 あと半月近く公演が続くので、やはり詳細を書くことをためらうのだが、文学座テイストとも下北沢カラーとも違う新鮮な舞台であり、企画を立ち上げ、実現できた作り手側の喜びが強く伝わってくる。カーテンコールでは拍手なりやまず、出演者がもう一度登場した。あまりないことである。苦い結末でありながら客席は2人の青年俳優への温かい祝福に満ちており、気持ちのよい夜となった。

 少年期の夢のような冒険と大人の世界への憧れ。そして苦い挫折と悲しい別れ。つまりベルファスト版『スタンド・バイ・ミー』とまとめるのは違う気がする。昨年春上演された同じマカファーティーの『シュート・ザ・クロウ』(田村孝裕演出 ブログ記事はスルーしてしまった・・・)のパンフレットに、「紛争後の新しい地平を見つめるマカファーティー」と題した河野賢司氏(九州産業大学国際文化学部教授)の寄稿があり、本作について「銃撃テロによる父親の死によって友情を断ち切られる2人の子どもたちを約30年後の2人が演じる」と書かれており、あっと思った。今回の公演にはチラシサイズの実にシンプルな当日リーフレットのみ、アイルランドの宗教や演劇状況はじめ、本作関連の用語説明もない。30年後の2人が演じるという枠組みすら書かれていない。終幕、いい年になった2人が再会し、微妙にすれ違いながら一気に少年のころと同じ決め台詞を叫ぶ。単純な回想形式ではなく、構造が少々複雑なのだ。ううむ、これはどう考えれば?

 昨夜の充実感そのままに幸せは続いているが、いろいろ考える。劇中ときおり西日本地方と思われる方言が使われていたが、これもどうなのだろう。公演は30日まである。昨夜は最前列で観劇した。後ろの席からみたら、どんな印象だろうか。どうしよう。迷い始める日曜の夜更けである。

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