因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

阿佐ヶ谷Picasso第1回公演『壊れたガラス』

2016-01-31 | 舞台

*アーサー・ミラー作 倉橋健翻訳 立川光貴演出 サイトはこちら 阿佐ヶ谷アルシェ 1月31日で終了 
 当日リーフレット掲載の挨拶文によれば、演劇集団円の俳優・演出家の立川光貴と、小劇場界の仕掛け人として7つの小劇場を生み出した岩崎直人は43年前、劇団雲の研究生同志として、旅公演を共にし、よく飲みよく語った仲であったそう。2015年に再会してユニットを結成、今回の揚げ公演の運びとなった。ユニット名の「阿佐ヶ谷ピカソ」とは、「20世紀の巨人ピカソのように『生命の躍動』を表現したい、変幻自在に生きることを遊びたい」という思いが込められているとのこと。決意と覚悟ほどはいかばかりかと察せられる。

『壊れたガラス』は96年の劇団民藝公演を観劇したことがあるが、そのときの印象はもはやおぼろげで、今回の観劇に活かせそうにない。

 肝心の舞台はというと、自分の不勉強や考察力のなさを告白することにもなるが、今回の上演が適切であるのかどうか、自分には判断できなかった。シルヴィア役の高橋紀恵(文学座)は非常に美しく聡明な印象で、夫のフィリップが「崇拝している」ということが納得できるものであった。その夫を演じる井上倫宏 (演劇集団円)は、かつて危なげな青年を演じるとぞくぞくするほどの魅力を放つ俳優であった。しばらく見ないあいだに貫禄のあるからだつき、声のトーンも自分の記憶とはだいぶ低くなったようで、その変容に少し驚いた。だがユダヤ人であることの劣等感や、その反動のような自尊心に苦悩する表情など、一筋縄ではゆかない厄介な人物に真剣に向き合っていることが伝わる。

 阿佐ヶ谷アルシェはとても小さな劇場だ。休憩をはさむとはいえ、こうした議論中心の会話劇を2時間半にわたって集中して観劇するのは辛いものがある。俳優の声の大きさや高さなどが、やや強すぎると感じたことは否めない。シルヴィアが信頼を寄せる医師のハイマンの妻マーガレットというのが、これがまたどのような造形にするのか悩ましい人物ではなかろうか。明るく開放的、社交的な女性だが、それがしばしば行き過ぎ、相手を辟易させてしまう。フィリップのように神経質で、相手に心を開かない人物にとってはなおさらで、マーガレットのいささか大きすぎる笑い声や、神経が休まるからとココアをしきりに勧めるところなど、「がさつで下品」と言われかねない演技になっている。またそれにいちいち不愉快な表情をしたり、せっかくの好意を無下に断るフィリップがますます「嫌な男」に見えてくるのである。
 戯曲の求めるところは、演出の意図は、これでよいのだろうか。

 戯曲が収録された「アーサー・ミラー全集Ⅵ」(早川書房)の巻末には翻訳の倉橋健と、放送評論家の藤久ミネの対談が掲載されている。専門家どうしの対談ゆえ、長年に渡る研究の知識、観劇の経験が随所に現れており、これをきちんと読むのに必要な知識すら、自分にはじゅうぶんにないことを思い知らされるのだが(苦笑)、この『壊れたガラス』は、夫フィリップが心臓発作で亡くなったところから、妻シルヴィアのドラマがほんとうに始まるという指摘を、とくに興味深く読んだ。観客は目の前の舞台、そこで起こることに集中するだけでなく、そこからあとに「ほんとうに始まる」ドラマにまで想像を広げ、考察を深めていってはじめて、劇作家の意図するところや、演劇の深い楽しみを味わうことができるということだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マキーフンvol.1 『胎内』 | トップ | 三澤の企画 『マリーベル』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事