因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

マキーフンvol.1 『胎内』

2016-01-30 | 舞台

*三好十郎作 船岩祐太演出 公式サイトはこちら SPACE梟門 1月31日で終了
 昨年の文化座アトリエ公演『稲葉小僧』以来、東演との合同公演『廃墟』、年明けは新国立劇場研修科第9期生修了公演『噛みついた娘』と、このところ「三好十郎づいている」因幡屋である。今回の公演は、『噛みついた娘』公演の折込チラシで知った。マキーフンは、俳優の藤井咲有里が立ちあげたひとりユニットだ。藤井は新国立劇場研修所の第2期修了生であり、『噛みついた~』の充実ぶりを思い起こすと、きちんと訓練を受け、高い志を掲げて、この旗揚げ公演を行っていると想像される。

 この風変わりなユニット名の由来はおやまあ、このようなことだそうで(苦笑)。せっかく志を持って立ちあげた、いわば自分のお城なのだから、もっとそれらしい命名を・・・というのは老婆心であろう。旗揚げ公演に三好十郎を、しかも『胎内』を選ぶとは、藤井咲有里なかなかのつわものとお見受けした。

 何しろ1時間半のこの芝居は、楽しいところや心浮き立つような場面がまったくといってよいほどないのである。時代は敗戦直後、とある山奥の防空壕が舞台である。金融ブローカーの花岡(土田祐太)とその愛人の村子(藤井)と、かつてその防空壕を掘ったという復員兵の佐山(遠山悠介)の3人が出あうも、地震で出入口がふさがれて閉じ込められてしまう。助けもなく、食糧も尽き、壕内の空気も薄れゆくなかで、確実に迫りくる死を、彼らはどう受けとめるのか・・・という物語なのだから。

 閉じ込められたこと、誰も助けに来てくれそうもないことを知った驚愕、死の恐怖、相手に対する憎しみ、過去の悔恨、別れた家族への哀惜などが、狭く暗い防空壕のなかで荒れ狂う様相、極限状態の人間の精神状態がどのようになるのかを、これでもかというくらい容赦なく描く劇作家の筆致は見る者をたじろがせる。

 本公演の当日リーフレット掲載の藤井咲有里の挨拶文に、「気軽に楽しんで頂けましたら、何より幸せです」とあって、いやいや藤井さん、それは無理ですよといったんは思った。しかし人情劇やコメディ、歌舞伎やミュージカルを「楽しむ」こととは違う視点において、『胎内』も「楽しむ」ことが可能な作品なのではないかと思いなおしている。
 それには観客も修業せねばならない。『胎内』を見に行くということじたい、大げさでなく「決心」が必要なのだから。だが決して難行苦行ではなく、強いられて行うものではない。希望や期待をもつことができる。自分の努力もあるが、作品の魅力、エネルギーがそうさせてくれるのではないか。

 終幕において、佐山は別れた妻子への思いを口にし、村子を妻と思って語りかけ、村子もまた過去の男への贖罪と愛情をつぶやく。意識が混濁し、幻覚症状のようであるが、佐山と村子は人生の最期において、ある種の高みへたどりついたのだ。

 ともあれ、藤井咲有里のマキーフン旗揚げを改めて祝福し、これからの歩みに大いに期待したい。作品に立ち向かい、格闘する彼らに負けないよう、観客である自分も心身を鍛えなければ。

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