*谷賢一作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 31日まで
作・演出の谷賢一(DULL-COLORED POP)はじめ、永山智啓、山口オン(elePHANTMoon)、小松美睦瑠(コマツ企画)、玉置玲央(柿喰う客)、百花亜希と、小劇場界の強烈な精鋭が顔をそろえた舞台。受付でチケットといっしょに一輪の花を手渡される。劇場に入ると舞台中央に祭壇があり、若い男性の遺影が飾られている。「どうぞ献花を」ということだ。こういうのはちょっと苦手なのだが、一応言われた通りに。それ以上の客いじりはなく安心する。開演前遺影のそばにずっと立っている女性は、遺族と思われる。やがて1人の女子高生がアザミの花をもってやってきた。ただごとではない様子。男性はなぜ死んだのか、女子高生との関係は何かが明かされる1時間45分の物語である。
賑やかな登山者のグループが実は集団自殺志願者たちであり、遺影の男性松岡(玉置玲央)も女子高生幸子(我妻三輪子)もその中にいた。ところが松岡は自殺志願者の救出とその後の支援をするNPO職員で、彼らを思いとどまらせるために志願者を装って潜入したのだ。彼らは山小屋に松岡を監禁し、自殺にみせかけて殺すために遺書を書かせようとあの手この手で痛めつける。死ぬことに迷いがある幸子はどちらにも加われず、追いつめられていく。
松岡が舞台中央の椅子に縛られたままリンチをされる場面は、かなりのところで俳優に肉体的負荷(とても痛そうなところもある)をかけている。この描写については長短あるだろう。一滴の血も使わず、俳優のからだに傷跡や痣すらつけずに描いた点は辛抱強さが感じられ、舞台がいたずらにスプラッター化することを防いでいる。しかしそれでも映像ならばもっとリアルにできるわけで、舞台で直接的な暴力を描くとき、作り手側はよほど慎重で巧妙になる必要があると思う。ほんとうに描きたいのは何か。これほどに痛めつけられても意志を曲げない松岡の強さとその理由か、死にたいと集まった人々が次第に加虐的になっていく様相か、舞台でここまでの暴力行為をやることと、それにぎりぎりまで耐える俳優をみせることか。
ここで例にあげるのは見当ちがいかもしれないが、ハロルド・ピンターの『新世界秩序』(喜志哲雄翻訳)を思い出す。目隠しをされた男をめぐって2人の男たちが短いやりとりののち、「こいつ(目隠しの男のこと:因幡屋注)もお前さんと握手することになるね・・・35分後には。」という終幕だ。目隠しの男は何もされない。しかし35分後には口を割る、転向すると2人は確信しているのである。これからいったいどんなことが行われるのか。想像がつかないだけに却って恐ろしく、背筋が一瞬鈍くヒヤリとするあの感覚である。
当日チラシの挨拶文の「矛盾した要素を内包している人間というものを、僕はとても憎んでいて、同時に深く愛している」という言葉がずっと気になっている。演出家としての谷賢一、劇作家としての谷賢一が自分の中ではまだひとつのイメージに結びつかない状態だが、後者の谷賢一をもっと知りたい。公演に足を運ぶたびに、その世界を鮮やかに立ち上げる力量と魅力ある俳優はじめ、公演を成功させようとする熱意にあふれたスタッフ、そして彼の劇世界にぶつかって受け止めようとする観客が確実に存在することを実感するからである。
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