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イングランド宗教改革:年譜

イングランド宗教改革:年譜


*****1504 *****
ローマ教皇からの特免。ヘンリー8世が兄アーサーの未亡人
キャサリンと結婚できるように。聖書の記述に矛盾があるから。
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レビ記18:16
あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟を
はずかしめることだからである。

同20:21
人がもし、その兄弟の妻を取るならば、これは汚らわしい
ことである。彼はその兄弟をはずかしめたのであるから、
彼らは子なき者となるであろう。

申命記25:5
兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、
その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の
兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての
道を彼女につくさなければならない。
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*****1509 *****
ヘンリーとキャサリン結婚。

*****1514*****
ローマ教皇、(当事者からの依頼により)ヘンリーの妹メアリーと
後のシャルル5世との婚約を無効化。メアリー(当時18歳)と
ルイ12世(52歳)の結婚を成立させるため。

*****1515*****
ルイが結婚3ヶ月で死去。メアリーはもともと恋人関係にあった
サフォーク公と結婚。サフォークにはすでに数回結婚していた。
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1503? アン・ブラウン
婚約して妊娠させるが1506に婚約破棄。

1506 マーガレット・モーティマー(アンのおば)
結婚して土地をもらってそれを売って金をつくり、
その後血縁の近さを理由に結婚無効を教皇に訴えて
離婚の特免を得る。

1508 アン・ブラウン(再び)
アンは二人目の子を1510に生んだ直後に死去。
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メアリーと結婚するにあたってサフォークはアンとの
離婚の特免を得る。その理由は、マーガレットとの
離婚特免が無効なものだったから。?????
(Bucholz and Key 394, n5)

*****1516 *****
ヘンリーの長女メアリー誕生。
その前後、1510-18に死産数回、
生まれてすぐに亡くなった子数名。

*****1520年代半ば以降*****
ヘンリー、王位継承(娘しかいないこと)について危惧。
また、これはレビ記の神の命に反した結婚に対する天罰か
と恐れる。

*****1526*****
ヘンリーがアン・ブーリンに接近。最初は愛人に、と誘うが断られる。
もともとヘンリーはアンの姉のメアリーと不倫関係にあった。
*アンはサリー伯ヘンリー・ハワードのいとこ。

*****1527*****
ヘンリーの姉マーガレットが(あまり説得力のない理由で)
アンガス伯アーチボルド・ダグラスと離婚するための特免を
教皇から得て、ヘンリー・スチュアート(後のメスヴェン卿)
と結婚。

ロンドンでヘンリーとキャサリンの結婚の有効性を問う
教会裁判開廷。

ヘンリー、キャサリンに別れを提案。断られる。

*****1528*****
キャサリン、修道院に入るよう迫られるが断る。

*****1529*****
教皇特使ロレンツォ・カンペッジオと枢機卿トマス・ウルジーの下、
特使裁判がロンドンで開廷。決着つかず。ウルジー失脚。
大法官として後を継いだのがトマス・モア。

ヘンリーの指示の下、議会が教会改革諸法制定。
ローマ教皇を頂点とするカトリック教会は腐敗している、
だからこれに従う必要はない、という世論操作。

*****1532*****
ローマへの初年度収入税納税を制限。
Act of Conditional Restraints of Annates

ヘンリー、聖職者を支配下におく。
"Submissin of the Clergy"

アン妊娠。

*****1533*****
ヘンリーとアン、秘密結婚。
(次期カンタベリー大主教トマス・クランマーによる。)

上告禁止法制定。Act in Restraint of Appeals
教会法関係の問題についてローマの判断を求めることを禁止。

クランマー、ヘンリーとキャサリンの結婚無効を宣言。
アン、正式に王妃に。その後女児エリザベスを出産。
ヘンリー落胆。

アン妊娠。

*****1534*****
初年度収入税法。この税をローマに収めることを禁止。
An Act Restraining the Payment of Annates

ローマへのペテロ税納税を禁止。

王位継承法制定。Act of Succession
メアリーの継承権剥奪。

王位継承法に関する誓約法制定。
Act Respecting the Oath to the Succession
上の法への支持の誓約を全国民から要求する法。
この誓約を拒んだモアと主教ジョン・フィッシャーは
投獄される。

アン死産。

国王至上法制定。Act of Supremacy
- 王が国教会の長。
- 聖職者叙任権、教会収入管理権、教義決定権は王に。

反逆法制定。王の至上権を否定することを言ったり、書いたり、
出版したら大逆罪で死刑。

*****1535*****
アン妊娠。

フィッシャー処刑。

アン死産。

モア処刑。かわりに台頭したのがトマス・クロムウェル。

ヘンリー、ジェイン・シーモアに接近。

アン妊娠。

*****1535-6*****
小規模修道院廃止法。Act for the Dissolution of the Lesser Monasteries
廃止+財産没収。

*****1536*****
キャサリン死去。

教皇権否定法制定。
Act Extinguishing the Authority of the Bishop of Rome

アン死産。

アン、姦通・近親相姦・反逆の罪で逮捕・有罪・処刑。

ヘンリー、ジェインと結婚。

10か条制定。
- 聖書と3信条(使徒信条、ニカイア信条、アタナシオス信条)が信仰の基本。
- こどもにも洗礼が必要。
- 告解を含む赦しの秘蹟が救済に必要。
- 聖体拝受のパンとワインは本物のキリストの体と血。
- 救済のためにはキリストによる贖罪に加えてよいおこないも必要。
- 崇拝してはいけないが、偶像も記憶の役に立つ。
- 聖人は模範として理解すべき。
- 神への取り次ぎ役として聖人に祈ってもいい。聖人の日を祝ってもいい。
- 儀礼は比喩的なものとして執りおこなうべき。
- 死者のために祈ってもいいが、教皇の赦しは無効。
http://www.luminarium.org/encyclopedia/tenarticles.htm

クロムウェルによる教会への教示。
- ローマ教皇の権威は無効・王が国教会の首長。
- 偶像崇拝・聖人巡礼など禁止。
- 主の祈り、信仰信条、十戒は英語で教え、くり返し練習させること。
- ラテン語聖書と英語版聖書を閲覧用に常備。
- 聖職者の酒場通い禁止。
- 聖職者給与の1/40を貧民に分配すること。 など
http://www.reformationhenryviii.com/1536-cromwells-injuctions.html

*****1537*****
国教会会議:秘蹟の数でもめる。

主教の書(Bishops' Book)完成。
- クランマーが中心。
- ヘンリーは読んでいない。

ジェイン、エドワードを産む。

ジェイン死去。

*****1538*****
クロムウェルによる教会への第二の教示。
- 王の教示に従うこと。
- ティンダル訳英語版聖書を閲覧用に早急に常備。
- 人々は救済されたかったら聖書を自分で読むこと。
- 主の祈りや信条や十戒は英語で教え、覚えさせること。
- これらを暗記しているかどうか受難節の告解の際に試験。
--> 不合格者は翌年に再試験。
--> 不合格者には聖体を拝受させない、つまり救済から除外 + 王から特別指導。

- 年に4回は救済が福音や聖書に記された慈善・信仰活動のみによることを
説教で指導すること。巡礼や寄付や偶像崇拝やロザリオを使う祈りのような
迷信はすべて無効。

- 偶像は片づけること。あくまで字の読めない人のための聖書がわりとし、
崇拝させないこと。

- これらの教示を徹底すべく、聖職者が在住していない教区には
代理人を配置すること。

- 説教者は王や大主教などの承認を受けること。
- 巡礼や偶像崇拝には聖書中に根拠がないと指導すること。
- ローマ主教(教皇)を支持する者がいたら王の下に連行すること。
- 教区民の名や結婚・洗礼・埋葬の日を記録すること。
- この教示を年に4回は教区民の前で読みあげること。
- 礼拝の後、アヴェ・マリアの祈りの際に鐘を鳴らすことを禁止。 など
http://www.reformationhenryviii.com/1538-second-injunctions.htm

ヘンリーの布告。
- 聖職者の結婚禁止。
- 再洗礼派を批判。
- 教会の儀礼を擁護。

*****1539*****
カヴァーデイルの公式『大聖書』(Great Bible)完成。
土台はティンダルの聖書。

大規模修道院廃止法。

意見相違防止法(「6か条の法」)制定。(クロムウェルは反対したが。)
- 聖体拝受のパンとワインは本物のキリストの体と血。
- 聖職者の結婚禁止。
- 告解を維持・継続。
Act Abolishing Diversity in Opinions, 1539

*****1540*****
ヘンリー、クリーヴズ家のアンと政略結婚。
好みではなかったので夜をともにせず。
6か月後にクランマーが結婚取り消し。

クロムウェル逮捕・処刑。理由は異端信仰と権力濫用。

(同じ日に)ヘンリー、ノーフォーク公トマス・ハワードの
姪のキャサリン・ハワードが好きになって秘密結婚。
* ノーフォーク公はサリー伯の父。カトリック。
* キャサリンはサリー伯のいとこ。キャサリンもカトリック。

クロムウェル処刑の二日後にヘンリー、二人のカトリック
聖職者を反逆罪で処刑、加えて三人のプロテスタント聖職者を
異端として処刑。

ヘンリー、ノーフォークおよびカトリックの主教スティーヴン・
ガーディナーと接近。

*****1541*****
キャサリンの結婚前後の浮気発覚。クランマーが密告し、
キャサリン本人も告白。相手は廷臣フランシス・デレハムと
トマス・カルペパー。特にカルペパーはヘンリーのお気に入り。

浮気相手二人の処刑。カルペパーは斬首、デレハムは、
絞首半殺し + 内臓取り出し + 斬首・バラバラの刑。

*****1542*****
キャサリン逮捕・処刑。保身のためノーフォークも
キャサリン逮捕・処刑を支持。

*****1543*****
ヘンリー、キャサリン・パーと結婚。

*****1544*****
メアリーとエリザベス、王位継承権を回復。

*****1546*****
プロテスタントの女性アン・アスキューが聖体拝受のパンとワインが
キリストの肉と血であることを否定して拷問・火あぶりの刑に。

ヘンリー、王家の紋章を自分の紋章に使用したノーフォーク伯とその子
サリー伯ヘンリー・ハワードを逮捕。

*****1547*****
サリー処刑。ノーフォーク処刑予定日にヘンリー死去。
ノーフォークは生きのびて、1553年、メアリーの即位にともない放免。

エドワード6世即位。おじのハートフォード伯が護国卿サマセット公に。

6か条法廃止。

礼拝堂解散法。
- 煉獄の教義を否定。
- 煉獄にいる死者のための祈りを否定。
- 礼拝堂・救貧院・学校・病院を解散、財産没収。これらの機能は自治体の責任に。

*****1548*****
クランマーらにより共通祈祷書完成。
- 英語で書かれた。
- 祭壇・告解・死者のための祈りを維持。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを否定。
(否定していないとも解釈できた。)
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And when he delivereth the Sacramente of the body of Christe, he shall say to every one these woordes.

The body of our Lorde Jesus Christe whiche was geven for thee, preserve thy bodye and soule unto everlasting lyfe.

And the Minister delivering the Sacrament of the bloud, and geving every one to drinke once and no more, shall say,

The bloud of our Lorde Jesus Christe which was shed for thee, preserve thy bodye and soule unto everlastyng lyfe.
-----
http://justus.anglican.org/resources/bcp/1549/BCP_1549.htm
(出版は49年。)

*****1549*****
礼拝統一法制定。
- 共通祈祷書使用を強制。

聖職者の結婚を許可。1/10の聖職者が結婚。

ウォリック伯ジョン・ダドリー台頭。サマセットを権力濫用のかどで投獄。

*****1550*****
サマセット釈放。

*****1551*****
サマセット再逮捕。

ウォリック伯、ノーサンバーランド公に。

*****1552*****
サマセット処刑。

クランマーらにより共通祈祷書第第二版完成。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを否定。
ーーーーー
And when he delyvereth the bread, he shall saye.

Take and eate this, in remembraunce that Christ dyed for thee, and feede on him in thy hearte by faythe, with thankesgeving.

And the Minister that delyvereth the cup, shal saye,

Drinke this in remembraunce that Christ's bloude was shed for thee, and be thankefull.
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http://justus.anglican.org/resources/bcp/1552/BCP_1552.htm

第二礼拝統一法制定。
- 祭壇廃止。
- 日曜礼拝欠席で投獄。三回くり返すと終身刑。

*****1553*****
42か条の信条制定。
- 信仰のみによる救済。(善行は無意味。)
- 予定説。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを否定。
- 告解廃止。
- 秘蹟は洗礼と聖体拝受のみ。

エドワード死去。

ノーサンバーランドの意向により、彼の子の妻で
ヘンリの妹メアリーの孫であったジェイン・グレイが即位。
同時にメアリーも即位を宣言。

それぞれが挙兵。メアリー軍がロンドンを掌握。
枢密院もメアリーを女王と認定。

ノーサンバーランドとジェイン投獄。

共通祈祷書廃止。

礼拝統一法撤廃。

*****1554*****
メアリー、ナポリ王フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)
との結婚を希望。

これに抵抗してトマス・ワイアットが反乱をおこす。
鎮圧されて90名ほど処刑。ジェインも処刑。
* このワイアットは詩人トマス・ワイアットの子。

メアリー、フェリペと結婚。

教皇、かつて修道院だった土地の現所有者に対して
それを返還しなくてよいという特免を出す。

メアリー、想像妊娠。

*****1555*****
異端法制定。ふたたびカトリックが国教に、プロテスタントは異端に。
しかし、礼拝堂・救貧院・学校・病院は再興されず。

メアリー、妻帯者など明らかなプロテスタントの聖職者2000人を罷免。

聖書翻訳者ジョン・ロジャース、主教ヒュー・ラティマーとニコラス・
リドリーを処刑。

*****1556*****
大主教クランマー処刑。以降、男237名、女52名を処刑。

*****1558*****
メアリー、想像妊娠。実際には子宮腫瘍。

メアリー死去。

エリザベス1世即位。

*****1559*****
プロテスタント亡命者の帰国がはじまる。

国王至上法制定。
- 公職者・聖職者は国王に至上権を認めることを宣誓しなくてはならない。
- 宣誓拒否1回:動産没収、2回:終身刑 + 不動産没収、3回:大逆罪で処刑。
- 後に国会議員・大学卒業者にも適用。
https://history.hanover.edu/texts/engref/er79.html

礼拝統一法制定。
- 共通祈祷書撤廃の取り消し。
- 日曜礼拝の義務化。欠席で12ペンスの罰金。
https://history.hanover.edu/texts/engref/er80.html

共通祈祷書再刊。
- 教皇批判削除。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを
否定していないとも理解できる1549版の文言を加筆。
-----
And when he delivereth the breade, he shall saye.

THE bodie of our lord Jesu Christ, which was geven for the, preserve thy body and soule into everlastinge life: and take and eate this in remembraunce that Christ died for thee, feede on him in thine heart by faith, with thankesgevynge.

And the minister that delivereth the cuppe shall saye.

THE bloude of our lorde Jesu Christ, which was shedd for the, preserve thy body and soule into everlasting life: and drinke this in remembraunce that Christes bloude was shedde for thee, and be thankeful.
-----
http://justus.anglican.org/resources/bcp/1559/BCP_1559.htm

*****1563*****
39か条の信条決定。71年に成文化。
- 信仰のみによる救済。(善行は無意味。)
- 予定説。
- 煉獄などカトリックの教義を否定。
- カトリックの位階制(教皇は除く)は維持。
- カトリック的な聖職服は維持。

コンラッド・ラッセル:
「国教会の思想はプロテスタント、外見はカトリック」。

聖書原理主義的なプロテスタント(ピューリタン)が
この頃からあらわれる。

聖職者会議開催。
- サープリス(聖職者の白い上着)廃止を協議。
- 礼拝におけるオルガン使用、十字を切ることの可否を協議。

*****1565*****
エリザベス、従来どおりの聖職服着用を厳命。
従わなければ聖職資格剥奪。

*****1566*****
教皇、イギリスのカトリック信徒に対して、国教会礼拝参列と
家でのカトリック礼拝の併用を禁止 --> 多くの者が国教会参列を選択。

*****1568*****
カトリックのイギリス人ウィリアム・アレンが、イギリスの
カトリック牧師補充のための学校をドゥエーに設立。

第4代ノーフォーク公トマス・ハワード(上記第3代の孫、
サリー伯の子)がスコットランド元女王のメアリー・
スチュアート(カトリック、ジェイムズ6世の母)との結婚を計画。

*****1569*****
北部カトリック諸侯の反乱。Northern Rebellion
上のノーフォークの計画が発端となり、第7代ノーサンバーランド伯
トマス・パーシー、第6代ウェストモーランド伯爵チャールズ・
ネヴィルらがメアリーをイングランド女王にすることを計画して
挙兵する。が、支持が広がらずすぐに鎮圧される。
ノーサンバーランドは翌年処刑。ウェストモーランドは大陸に亡命。
反乱に加わらなかったノーフォークも投獄された。

*****1570*****
ローマ教皇、エリザベスを破門。
カトリックはエリザベスに忠誠を誓う必要なし。
--> イギリスのカトリックは、教皇と女王、どちらに尽くすか要選択。
--> 多くが女王を選択。

すべての治安判事が女王に忠誠の誓約をすることになる。

ケンブリッジ大の神学教授トマス・カートライトが一連の講義で
国教会を批判して失職。

*****1571*****
リドルフィ陰謀計画。Ridolfi Plot
教皇とスコットランドのメアリーとノーフォークの支持を
受けてフィレンチェの銀行家・カトリック活動家のロベルト・ディ・
リドルフィがスペイン軍とイギリスのカトリックによる反乱を
計画。事前に政府に暴かれて失敗。

反逆関係法復活。
- 女王を異端と呼ぶことは死罪。
- 女王の王権を疑うことも死罪。
- 女王の退位や死を画策することも死罪。

*****1572*****
ノーフォーク処刑。

*****1579*****
イエズス会もイギリスのカトリック牧師補充のための学校を
ローマに設立。

フランスのアランソン/アンジュー公渡英。
以降、彼とエリザベスとの結婚が噂される。

*****1580*****
イエズス会がイギリスに渡来して布教活動をする。

*****1581*****
国教忌避禁止法。
- 教会の礼拝欠席で毎月20ポンドの罰金。
- 国教会からの改宗禁止。

*****1585*****
カトリック聖職者であるだけで反逆罪となる。
以降、カトリック聖職者120名 + カトリックの一般人60名
ほどが処刑される。

*****
詳細未確認箇所多数。


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