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Cowley, "The Epicure"

エイブラハム・カウリー(1618-1667)
「アナクレオンの詩VIII--快楽主義者--」

バラ色のワインを器に注ごう。
バラで冠を編んでかぶろう。
しばらくのあいだ、楽しげに、
ワインやバラのようにほほえんでいよう。
バラの冠があれば、あの裕福な
ギューゲース王の冠などいらない。
今日という日はわたしたちのもの--何を恐れている?
今日という日はわたしたちのもの--それは、まさにわたしたちの手のなかに。
今日という日にやさしくしよう。そうすれば、それも、
わたしたちといっしょにいたいと、少なくとも思ってくれるだろうから。
仕事は追放しよう。悲しみも追放しよう。
明日のことなど、神々が考えればいい。

* * *
Abraham Cowley
"Anacreontiques VIII: The Epicure"

Fill the Bowl with rosie Wine,
Around our temples Roses twine,
And let us chearfully awhile,
Like the Wine and Roses smile.
Crown'd with Roses we contemn
Gyge's wealthy Diadem.
To day is Ours; what do we feare?
To day is Ours; we have it here.
Let's treat it kindely, that it may
Wish, at least, with us to stay.
Let's banish Business, banish Sorrow;
To the Gods belongs To morrow.

* * *
訳注

1-6
バラとワイン、はかない美と実体のない幸せ。
ありきたりだが、それでも・・・・・・。
バラの「冠」というのもポイント。美しく、痛い。

6 Gyge's
= Gyges's. ギューゲースは古代リュディアの王。
ヘロドトスの『歴史』第1巻参照。
http://classics.mit.edu/Herodotus/history.1.i.html

(1)
ギューゲースは、リュディア王の護衛のうちの
彼のお気に入りのひとり。

(2)
王妃の美しさを自慢する王のすすめによって、彼女の
裸をこっそり見る。これは王妃にばれていた。

(3)
怒った王妃はギューゲースに命じる--「そんなことを
命じた王を殺してお前が王になれ、それが嫌ならおまえは
死刑だ」。

(4)
やむを得ずギューゲースは王を殺して王になる。

(5)
人々は反乱をおこそうとするが、デルポイの神託が
彼の即位を認めるならいい、という話になる。
そして、実際に神託はギューゲースを王として認める。

(6)
こうして彼は王となり、デルポイの神殿に金の器など、
多くの捧げものを送る。

9-10
「少なくとも思ってくれる」--つまり、本当は不可能だから。
今日という日が、わたしたちといっしょにずっととどまる、
ということはありえないから。

12
明日も生きている、という保証があるのは、不死の神々だけ、
ということ。人間は、いつ--実際今この瞬間に--死んでも
おかしくない存在。

* * *
文学史上「カルペ・ディエム」とまとめられるタイプの詩。

実際には、「カルペ・ディエム」のテーマにもいろいろな
ルーツがあり(ホラティウスだけでなく)、17世紀イギリス
においてもいろいろな変奏がある。詩人によって、また、
作品によって。

* * *
英語テクストは、Poems (1656) (Wing C6683) より。
一部修正。

* * *
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