『資本の<謎> 世界金融危機と21世紀資本主義』(デヴィット・ハーヴェイ著 作品社 2012年刊)
ここでは、本書の論理を追うことはせず、気になるフレーズをもとに考えてみたい。
自己責任、民営化、市場化をスローガンとした80年代以降の新自由主義政策と、リーマンショック(2008年)後に金融機関を救済するために政府(公的)資金を投入した政策は、論理的には矛盾しているように見えるが、「利潤を私的なものにしつつリスクを社会的なものにする」「つまり、銀行を救って人民を締め上げる」(P26)という意味では資本主義社会としての構造的には一貫しているということがわかる。
「1929年や2008年のように、金融システムと『国家―金融結合体』が破綻したとき、誰もが資本主義の存続に対する脅威が存在することを認識し、それを再生するためにはあらゆる手立てがとられ、あらゆる妥協が検討されなければならないと考えるのだ。」「まるでわれわれは、たとえ資本主義に不満を持っていたとしても、それなしでは生きてはいけないかのようだ。」(P82)
ここで言う「資本主義」を私たちは自分が属する様々な組織に言い換えることができる。身近なところでは会社や国家であり、それらが危機に直面した場合、たとえそれらに不満を持っていたとしても、それなしには生きていけないかのように思ってしまう。翼賛への第一歩である。党とて同じである。
古い船を乗り捨て、新しい船で新しい海へ出かけるイメージを持つことができるか。