「PRONTO 新さっぽろ店」(デュオ1 2階)でホットケーキ、3軒目!
どうしても書いておかなければならないことがある。私だけのこだわりだが、『完本 情況への発言』(吉本隆明著 洋泉社 2011年刊)においても、この日のことを書いたが、『新・日本文壇史 第七巻 戦後文学の誕生』(川西政明著 岩波書店 2012年刊)第四十章『埴谷雄高「死霊」の歴史』では、川西氏がこの日のことを書いている。
全国四大学主催“「死霊」を祭れ”講演会は、学生たちが川西氏に協力を要請したことから実現した。札幌には、吉本隆明、小川国夫、秋山駿が参加し、会場は「学生たちの群で溢れ物凄い熱気であった。」と川西氏は書いている。
川西氏は、当時の学生の様子を離れた視点から冷静に以下のように描いている。
「当時、大学に籍を置く学生は、戦後民主主義に絶望していた。だから彼らの内部になにか外から種を蒔いて植えつけるのは徒労に等しいと言えた。」
「大学闘争が抑圧された後の奇妙な静寂さのこもる大学へ入ってきた大学生たちは、虚構であることのプロセスを踏むことなく、人間の生の重み自体もまた虚構なのではないかと決めてかかっているように見えた。」
「そして大部分の学生は、雄高や隆明や光晴の作品を系統的に読んでいないのではないかと疑われた。少なくとも大学闘争に参加した学生のようには雄高も隆明も光晴も読んではいなかった。」
「人間の表現のなかには必ず虚構というものがあり、そのプロセスを踏まない限り、政治にしろ文学にしろ、自分を表現することはできないし、他者に伝達することも不可能である。そのプロセスを踏むことなく、あるいはまた本を読むことによって思考を鍛えられることなく、人間の生自体が虚構だと幻視しているかのように見える学生たちの内部には、無限大、未出現、無出現、創造的虚在=虚体を求める雄高の『死霊 五章 夢魔の世界』の出現は、未知の世界を夢見させたようであった。」
*当事学生だった私は今、先を行く世代からそのように見られていたのか、という思いを持つ。
そして、京都の講演では、雄高自ら「意識とか思想とか精神のリレーとかいうものは非常にむずかしい。なぜならそのリレーをする時渡されるバトンには《より深く考えよ》と言う言葉が彫り込まれているからである」と述べた。
*「そうだ!」