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農業論 吉本隆明ノオト その4

2015-05-02 13:31:14 | Weblog

 近所の喫茶店で「焼きナポリタン」

 占領下に米国によって押し付けられた憲法を改正したいというアへの悲願と、今訪米して米国の言いなりで、さらに従属を深めているアへは、自らの姿をどう感じているのだろうか。

 TPP交渉で何がどのように主張されて、どこに隔たりがあるのか、その内実がちっとも報道されない。政府に遠慮した報道機関の怠慢ではないか。交渉の既成事実だけが積み上がって、公表された時は全て合意に達したということになるのではないか。

 農業論

 吉本隆明は変わらない。吉本は、論争の人である。初期の頃、「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせる」(廃人の歌)と謳った。氏は、今になってもエコロジストはもちろん農業者全てを凍らせるようなことをあえて発言する。

 産業が高度化するほど1次産業は衰退する。従って、農業が衰退するのは不可避だ。コメの自由化は必然だ。自由化反対を主張することは歴史に逆らうことである。進歩政党(講演時は社共)は、農業を守もれなどといい恰好をしているが、それよりも農業から他産業への移行費用を補償させる要求をすべきだ。

 日本農業をつぶすなという議論を進めていくと、国家主義になる。貿易摩擦の議論も突き詰めていくと国家主義、民族主義につながる。究極的には、国家は開いていって、歴史の過程で無くなった方が良い。

 農業は生産性が低く、労多くして益少ない、しかるに衰退するのは必然である。農業を継続するためには、共同経営にして生産性を上げ国際競争に挑むか、高次産業と結び付けなければいけない。農業以外の者が一国的な自給自足や地産池消を一方的に唱え、緑の保全などを主張するのは不見識だ。

 *(*印は僕の感想部分)吉本氏は、農業者が聞いたら激怒するようなことを敢えて発言する。また、僕は、以前このブログで、TPP反対者の方の論理からは、ナショナリズム、国家主義的な臭いが感じられてきてとても歩調を合わせることはできないと書いた。

 *吉本の全世界を凍らせる議論の射程は、歴史の方向性を踏まえた、国家の廃絶と言う究極の姿を視野に入れた議論であるのに対して、現実の情況の中での議論とは自ずと食い違うのは当然だと思う。

 


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