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『疑似科学入門』 その3

2008-05-12 21:08:33 | Weblog
 『疑似科学入門』(池内了著 岩波新書 2008年刊)その3

 最近、ブログについて言及している文章に出会う。

 池内氏は、この著書の中で、ブログについて、自分の意見を表明する手段を持てなかった人たちにとっては画期的なことである。

 しかし、それは、他人を意識する分だけ社会性が高まったというわけではなく、自分はこうなのだと居直り、自己を正当化することが常態になっており、自己中心主義が強くなっている。プライバシーを公開しているようで、それは自分で作り上げた虚像でしかない。

 倫理意識が希薄になり、一面的なものの見方を露骨に表現している。このような、自己中心主義の態度が疑似科学を増殖し、はびこらせる素地になっている、と述べる。

 大澤真幸は、『不可能性の時代』ブログについて言及し、われわれは、監視されていることを恐れ、そのことに不安を覚えているのではない。逆に、他者にまなざされていることを密かに欲望しており、むしろ他者のまなざしがどこにもないかも知れないということにこそ不安を覚えている。ブログのような私的日記を公開するサイトが流行る理由は、こうした欲望や不安を前提にしないと説明できなまい、と。



 実際にブログを約2年試行している私にとって、いずれもしっくりくる論理ではない。

 不特定多数の誰かが読むという前提に立って書いている部分もあるが、どちらかと言えば、自分の内面の論理を整理するためのきっかけの道具として使っている。そういう面からは、池内氏の自己中心主義の態度である。しかし、疑似科学の温床と言う見解には同意できない。

 また、大澤氏の見解は全くナンセンスである。監視社会こそ批判されるべきである。誰かに見てほしいからブログが流行るのだろうか。否、ブログのほとんどが匿名で行なわれていることに、監視社会への警戒心が現れていると考える。



 写真は、松本市内の古書店です。

コメント
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