帯広畜産大学山岳部はかつて厳冬期の大雪山系縦走に初めて成功した。
しかし、そのサポートパーティーが東大雪のウペペサンケで遭難し、3名の現役部員が帰らぬ人となった。
私が生まれた頃の話である。
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以来、秋にはウペペ参りと称して、ウペペサンケ山に登り、慰霊碑であるケルンにお参りしてきた。
しかし、この7-8年は現役部員も1-2名いるかいないといった状態で誰もケルンを訪れていない。
事故から50年余りが過ぎ、亡くなった3名の親御さんも亡くなり、3名を知る人も少なくなった。
今年、ウペペ参りを行い、それで最後にしよう、ケルンも自然に帰るにまかせよう、ということなのでウペペ参りに行ってきた。
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前日は糠平温泉泊まり。
50名以上が集まり、山岳部の大先輩たちや、懐かしい仲間や、初めて会う後輩達と話すことができた。
翌日は、ウペペ参り。
登ったのは20名あまり。
林道の奥、標高1000mから登り始め、急斜面を登って尾根へ。
そして尾根をつめて稜線へ。
頂上直下の1800m地点から、今度は400mほど道もない沢筋を降りる。
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おそらく視界が悪い中で誰かが雪庇を踏み破るなどして沢へ落ち、ほかの2名が助けに行ったところへ雪崩が起きたのだろうと推測されている。
遭難事故の年は、春からあちこちを探しまわり、ピッケルなどが落ちているのを発見し、その沢を捜索して遺体を見つけたそうだ。
ケルンには「最後まで闘った友へ」と書いた銅板が貼られている。
しかし、その銅板ももう半分剥がれて割れていた。
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今回、登った先輩達の最高齢は70歳近い。
よくケルンまで辿りついたものだ。
まだ現役で登山を続けておられるとのこと。
そうでないと、50代でも登るのはキツイ。
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帯広畜産大学山岳部は、それ以降も事故はあったものの遭難死亡者は出していない。
だからウペペ参りを長く続けてこられたとも言える。
ウペペ参りを続けることで気を引き締め、教訓にしてきたとも言える。
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私は山岳部で多くのことを学んだな、とあらためて思った。
とてつもない時間とエネルギーを使ったが、それは決して無駄ではなかったし、私の血となり肉となっている。
今、体育会系のクラブは入部者が少なくてどこも困っているらしい。
山岳部などというのもすっかり流行らないようだ。
しかし、それはとても残念なことだ。