「新・団地妻 不倫は蜜の味」(1999/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:サトウトシキ/オリジナル脚本:小林政広/企画:森田一人・朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・福原彰/協力プロデューサー:岩田治樹/音楽:山田勲生/撮影:広中康人/照明:高田賢/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/録音:福田伸《福島音響》/助監督:坂本礼/監督助手:大西裕/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:矢島俊幸・瀬野英昭/ネガ編集:門司康子/タイトル:道川昭/タイミング:武原春光/現像:東映化学/応援:鎌田義孝・榎本敏郎・女池充・柳内孝一/協力:大坂和美・上田耕司・寺西正己・ポパイアート・ペンジュラム・《株》三和映材社・《有》不二技術研究所・ハルキーズ/出演:葉月螢・沢田夏子・村木仁・久保田あづみ・佐々木ユメカ・羅門ナカ・岡田智宏・本多菊雄・甘木莞太郎・鮎原啓一・石川二郎・石切山泉・磯田勉・井出淳子・稲葉博文・尾澤美牧・勝山茂雄・加藤真五・黒川幸則・小泉剛・光地拓郎・小林康宏・酒井慎・佐々木直也・佐藤宏・白石秀憲・鈴木賢一郎・タケ・田尻裕司・田村益美・徳永恵美子・中川大輔・永井卓爾・星川隆宣・細井禎之・細谷隆広・堀禎一・湯川暁子)。一々何処がどうとか面倒臭いからいはないが、nfajの誤記が相変らずへべれけに酷い。
干上がつた河沿ひを画面左から右に流すロングに、教会音楽のやうなメインテーマが鳴る。おもむろにクレジット起動、スタッフは福田伸、俳優部は本多菊雄で打ち止め。一旦の最後にサトウトシキをクレジットした上で、改めて河越しに団地?を望むロングにタイトル・イン、までが一分半強。六十八分弱とロマポばりの尺を費やすのもあつてか、女の裸はおろか所謂人つ子一人出て来ない。特に何を映すでなく、随分とのんびり構へたアバンではある。
さて団地、ママチャリで買物帰りの葉月螢を、出迎へたとしか思へないタイミングで沢田夏子が現れる。と、いふことは。この二人の組み合はせ―プラス本多菊次朗―と来ればよもや二年越しの続篇!?かと脊髄で折り返して面喰ひかけたのは、「田向さんこんにちは」なる沢田夏子の第一声で解消される、前回は酒井だつた。朝子(葉月)の買物の中身を窺つたお隣の岡田友子(沢田)は、夕餉の献立がすき焼きである豪勢さに悪い意味で喰ひつく。特上ロースを用意した朝子が、夫の圭司(本多)にただの美味しいでなく、是が非でも“凄く美味しい”といはせようとする。脚本がどうかう、演出が云々以前に。寧ろそこに葉月螢がゐる時点で否応ない帰結とも実は思へる、兎も角例によつて強迫的な会話を―同じ面子の―田向家が拗らせる一方、焼き魚を突く岡田家では友子が夫・新平(村木)に直截な妬み嫉みを包み隠さず発露する。不用意に暗い夫婦生活を一応噛ませての翌日、三回戦まで戦つたのを自慢した朝子は、友子のジェラシーに火に油を注ぐ。
当然友子から3ラウンドを求められ、エラい目に遭つた岡田が朝の駅にて田向に恨み節を垂れ、それまで交流の殆どなかつた、二人の距離が偶さか近しくなる。久保田あづみと佐々木ユメカは、仕事終りに田向と岡田が入つた、パンッパンに混んだ満員電車みたいな居酒屋。に来店するや否や、一目散に田向等のテーブルに相席を乞ふ、無職の礼子とOLの明子。さういふ、国映作の概ねリアリズムぶつてゐる割にはな、割とぞんざいなファンタジーの匙加減が当サイトにはよく理解出来ない。ついでにそれまでさんざぱらスカしておいて、いざとなるとカット跨ぎで平然と―誠意は欠いた―絡みに突入してみせる、裸映画特有の文法に頼つてのける臆面のなさも。話を戻して出演者中、甘木莞太郎以降の徒に膨大な頭数は駅と主に居酒屋に、田向の勤務先「共友商事」要員。駅前の往来部とかいはれると最早手も足も出ないが、礼子が田向の帰途を張り込む、茶店のマスターも含まれるかも。居酒屋店内の、福原彰(=福俵満)しか見切れなかつた。こゝからが、問題。終盤時間差で投入される、残りの二人。羅門ナカ(=今岡信治)は宅急便の配送員を装ふ、朝子に誘惑されたと称する元スーパー店員・立夫。気持ち長めのセンター分けが凄く似合はない、岡田智宏は友子に電話を寄こす実に七年前の元カレ・近藤、よく住所電話番号に辿り着いた感も否めない。
前回に引き続き正調の国映大戦第四十一戦、これで当時はときめいてゐたサトウトシキ1999年第一作は、小林政広とのコンビで―五本目は今岡信治―好評を博してゐた模様の団地妻もの第三作。“模様の”だとか筆致が覚束ないのは、何せ当サイトはこの期に及んで1mmたりとて理解も共感もしてゐない由、昔日の空気は忘れた。
嫁同士は仲がいゝのか悪いのか微妙な二組の夫婦に、女と男を二人づつ絡める。といふと、カップリングの手数にも富んだ、それなり乃至それらしき構成に、思へなくもないものの。のんびりしたアバンで実は既に、起爆装置が何気に露出してゐる。クレジットに際し、脚本の頭にわざわざ“オリジナル”を冠してゐる辺り、サトウトシキが元々小林政広が書いたものに相当手を加へてゐたのであらう風情も見え隠れしつつ、箆棒な力技で飛び込んで来る明子と礼子に劣るとも勝らず、立夫と近藤―近藤に関してはその存在が、首の皮0.5枚触れられはするにせよ―が二人とも木に接いだ竹すぎて、面白くない詰まらないどころか、何がしたいのか即物的以下の節穴にはサッパリ判らん。残りの六人が各々の組み合はせで愉しむ一方、自宅で立夫に犯された友子が、再起動後灯りも点けずに簡単な食事を摂る。摂つてゐるとアバン同様、別に何を映すでないタイトルバックが淡々と流れ始めるラストには呆然とした。わざわざ一時間も優に跨いで、客を呆然とさせたいのかこの映画。締まらないが殊に締め付近はクロスカッティングで形だけ連ねこそすれ、ズボンの上から扱くが如きシャレオツな濡れ場の訴求力は所詮低く。さうなると最早、「白昼の不倫」なり「尻まで濡らす」との比較でも、長曽我部蓉子サマの不在しか残らない惨憺たる体たらく。もう三分の二見たぞ、サトウトシキ団地妻に果たして当たりはあるのか、甚だ怪しくもなつて来かねない一作。最後にもうひとつ、1999年の時点では電話の会話を、出し抜けに飛ばしたヘリのローター音で消す手垢に塗れた演出が、未だ許されてゐたのかしらん。
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