真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「迷ひ猫」(1998/製作:国映株式会社/配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/監督:サトウトシキ/脚本:小林政広/企画:森田一人・朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・福原彰/音楽:山田勲生/撮影:広中康人/照明:高田賢/編集:金子尚樹《フィルム・クラフト》/助監督:坂本礼/録音:シネキャビン/監督助手:女池充・柿沼竹生/撮影助手:長谷川裕/照明助手:瀬野英昭・守利賢一/タイトル:道川昭/タイミング:松本末男/制作応援:岩田治樹・広瀬寛巳・大西裕/現像:東映化学/協力:今岡信治・田尻裕司・徳永恵美子・榎本敏郎・柳内孝一・村木仁・久万真路・佐生俊英・《株》三和映材社・《有》不二技術研究所・アウトキャストプロデュース/出演:長曽我部蓉子・本多菊雄・寺十吾・白鳥さき・藤沢みずえ・鮎原啓一・上野俊哉・勝山茂雄・鎌田義孝・石川二郎・平泉成)。
 煙草を吹かしながら周囲の様子を軽く窺ふ、長曽我部蓉子のアップ。左手人差し指と中指の、根元に挟んだ煙草は最初フレーム内に入らず、薬指には結婚指輪が。要は客を求めて街頭に立つ桂子(長曽我部)に、遠目の一見佐藤寿保似の男(鮎原啓一?)が接触を図りかけるも、お気に召さなかつたらしく無視される。深夜の往来から、一転白昼の喫茶店。結構有名なロケ先らしい「ブラジリエ」(2009年ビルごと解体/西新宿)に、後述する一般公開を最初から目してゐた所以か、平泉成が飛び込んで来る。「何時頃から街角に立つやうになつたんですか?」、記者(平泉)が桂子にインタビュー。質問に対し桂子が覚束ない答へしか返さない中、「迷ひ猫」だけのタイトル・イン。少し話を戻して、桂子が捨てた吸殻、フィルターが随分短いのだけれど、ショッポでも吸つてゐたのか。
 配役残り、薔薇族込みでピンク第五戦の寺十吾が、桂子の夫で夜勤の仕事を始めた立夫。家と車と子供の夢が潰へたと桂子が黄昏る、ところのこゝろが判然としない。確かに目下は団地住まひにせよ、家と子供に関しては行間が埋められず、立夫を金属バットで撲殺した桂子が、衝動的に辿り着いた海まで、運転してゐた車のオーナーはそもそも誰なんだ。本多菊雄は、立ちんぼを始めた桂子を、ショバ荒らしを叩きもせず普通に買ふヤクザの真二。撃ちもしないリボルバーを装弾した状態で常備するのは、直截に藪蛇な枝葉にしか思へない。パン女にヤクザと来て拳銃、ある意味、発想の貧困を象徴してゐるやうにも映る。そして、一般映画にしては出し抜けな絡み要員ぶりも否めない、真二情婦役の白鳥さきが、何時しかデビュー二十年も通過した、今の今まで寡聞にして知らなかつた里見瑤子の別名義。AVとかVシネで普通に使用してゐたみたい、寡聞にもほどがある。ブラジリエの、顔が異常に白い柳腰のウェイトレスは藤沢みずえか。勝山茂雄・鎌田義孝・石川二郎が何処に見切れてゐるのかは皆目見当もつかない反面、三鷹署表の、制服ぐらゐ着せろや安普請といふツッコミも禁じ難い、普通のスーツの男は上野俊哉かも。警杖と、腕章だけで立番で御座いといふのは、幾ら何でも通らない相談だらう。
 博く知られる「新宿♀日記 迷ひ猫」が、ピンク映画「尻まで濡らす団地妻」四ヶ月強後の一般公開題とされる。ものの、実際に入るタイトルは「迷ひ猫」のみで、更には無味乾燥なVHS題が「告白団地妻売春クラブ」と、無闇にやゝこしいサトウトシキ1998年唯一作で国映大戦第十八戦。更なる問題が「尻まで濡らす団地妻」のjmdb尺が六十五分とある一方、現に配信される動画は七十分。五分の差が何処に生じたものかは、尻まで濡らすver.を未見である以上当然断定しかねつつ、恐らくそのまゝのクレジットを見た感じ、里見瑤子は元ピンクでも白鳥さきでクレジットされてゐたのではあるまいかとザックリ推察する。ピンクのポスターとなると、更に一層もう知らん。但し今回ex.DMMは、出演者に白鳥さきではなく里見瑤子で、直球のタグづけを施してもゐる。とかくこの界隈、情報の流動ないし融通性が高過ぎて、下手な底なし沼にも似た風情。
 釈然としない成行で街角に立ち始めた末に、夫を殴り殺した女。回想とブラジリエの行き来で、その後その足で自首に赴くにさうゐない、桂子の来し方を淡々と振り返る。『PG』誌主催第十一回ピンク大賞に於いては、小癪にも「新宿♀日記 迷ひ猫」としてベストテン二位と長曽我部蓉子の女優賞に輝き、本多菊雄の男優賞と、里見瑤子の新人女優賞が掠める。m@stervision大哥がピンク最高位の年間日本映画第六位に挙げてをられ、港岳彦辺りも、どうかした勢ひで激賞してゐたりする。ところが、あるいは例によつて。何が然様に素晴らしいのか、てんで腑に落ちないのが安定はすれど信頼には値しない、当サイトの節穴具合。最終的には匙を投げたやうに見えなくもない記者と、桂子との終始噛み合はない遣り取りを通して否応なく浮かび上がる、案外団地妻ものの定番テーマでありもする空虚。がテーマにしては、判で捺すが如く同じ表情を叩き込み続ける、平泉成の殆どサブリミナル効果は兎も角、如何せん長曽我部蓉子のトゥー・マッチな情報量が悩ましい諸刃の剣。たとへば小林悟のドライな一種のダンディズムあるいは、珠瑠美のより絶対的な女の裸以外の何もかもの欠落にこそ、逆説的な物言ひを弄するならばなほ色濃い空虚を覚えてもみたり。それは空虚といふか、メタ的に性質の悪い虚無といふべきか。里見瑤子は正直お飾り程度にしても、ビリング頭三人によるアツい濡れ場で、女の裸を決して蔑ろにしてはゐないジャンル的誠実さが寧ろ出色。長曽我部蓉子を入念に愛でる分にはほぼほぼ完璧、物語とか映画を求める段となると、駝鳥よりも脳の小さな俺にはワカンネ。交差点にて一時停止した、桂子のフッ切れたのか清々しくはある表情に漫然と途方もなく回した挙句、唐突にクレジットが起動するラストには、直截に頭を抱へた。あのさこの映画、この期に触れても本当に面白い?往々にして作り手と無駄に距離の近い観客が、必ずしもさうでなくとも監督なり会社の名前で映画を観るのは、数十年一日で相ッ変らず変らないピンク映画の死に至る病。橋本杏子の時代から長きに亘る終る終る詐欺で、なかなかどうして死なんけどね。


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