真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「赫い情事」(1996/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:瀬々敬久/脚本:井土紀州・瀬々敬久/企画:朝倉大介/撮影:斉藤幸一/照明:ラモス/編集:酒井正次/助監督:田尻裕司/監督助手:榎本敏郎/撮影助手:佐藤文男/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/協力:高平竜介・吉行由美/ロケ協力:新宿クリスUSA/出演:葉月蛍・泉由紀子・工藤翔子・佐野和宏・川瀬陽太・湯川恭子・細谷隆広・山田菜苗・小林節彦《友情出演》・伊藤猛)。ラモスだなどと人を喰つた照明部は、全体誰の変名なんだ。
 カラオケスナック?にしては些か豪奢、にも映る店内。伊藤猛と工藤翔子がデュエットする、「ロンリー・チャップリン」で火蓋を切るまさかの開巻。二人はアパレル会社課長の漢字が見当つかないタダ一樹(伊藤)と、職場結婚間近のノリコ(工藤)。離れたボックス席、同僚の青木淳子(葉月)が一人恐らくウーロン茶に口をつける。歌ひ手交替、これで楽しいのか甚だ疑問な淳子がたどたどしく歌ふ「木枯しに抱かれて」に早くも、全篇を貫く如何ともし難い痛々しさが猛然と起動する。そんな淳子に向けられた一樹のここではニュートラルな眼差し噛ませて、赤々しくフィルターをかけた繁華街の夜景に、まんま石井隆みたいなタイトル・イン。一人見切れるウェイターは特定不能、戯れにググッてみて、後述するクリスが平成も終つた今なほ現存する何気なミラクルには結構驚いた。
 若干名見切れる社員部も何れも不明な、アパレル社内。頼まれたコピーを手渡す弾みでノリコの指先に触れた淳子は、社用で外出したノリコが、空を舞ふ青いビニール傘に紛れダインスレイヴする植木鉢の直撃を喰らふヴィジョンを見る。現に外出しようと席を立つノリコに対し、葉月螢の安定した不安定メソッドで淳子が「行かない方がいい!」と錯乱する一幕を振り切り、当初予定に従ひ先方に向かつたノリコは、淳子が幻視した“来るべき光景”―原題である―通り死ぬ。通夜の帰り、出し抜けなキスに続く「あの時何で判つた」といふ問ひには答へず、ダサい十字のイヤリングを残し淳子は一樹の前から姿を消す。三年後、退勤時の駅にて、一樹は淳子と交錯する。後を尾けてみたところ、淳子は雑居ビルに構へた覗き部屋「クリスUSA」に。クリスの敷居を跨ぎ、佐野和宏に木戸銭を支払つた一樹が個室ブースに入ると、淳子は源氏名・安寿として客にワンマンショーを見せてゐた。
 配役残り泉由紀子は、一樹宅に「来ちやつた」な関係の女。ノリコの命を奪つた植木鉢を落下させた女でもあるとかいふ、恐るべき劇中世界の狭さ。は百歩譲つてさて措き、幾らなんでも件の青い傘を今でも使つてゐるのは流石にトゥー・マッチ。細谷隆広は、個人情報の扱ひがガッバガバな人事。そして川瀬陽太が、佐野いはく―クリスに―「安寿はあいつと一緒に来た」、厨子王ならぬトシオ。通算五年後、もう三人まとめて飛び込んで来る。羽衣天女を背負つた湯川恭子が、クリスがガサ入れを喰らふ元凶たる、実は十六歳の嬢。源氏名はトレイシー、といふのはありがちな与太。山田菜苗と小林節彦は菊の御門部、もう一人ゐるのは榎本敏郎。無造作な混同を惹起しかねない羽衣天女の葉月螢アテレコは、もしかすると敢てした、輪廻転生感を狙つたものなのか、蜜柑も持つてるし。最早見事なほど、時空が歪んでゐる点には目を瞑れ。もうひとつもしかすると湯川恭子は、一樹とイズユキの間に結局生まれた子役部かも。
 国映大戦第十六戦は、PG誌主催の第九回ピンク大賞ベストテン第二位どころか、あのm@stervision大哥が日本映画第一位にすら挙げてをられる瀬々敬久1996年第一作。
 「安寿と厨子王」を薄めの主モチーフに、重過ぎるギフトを背負はされ苦しむ葉月螢と、何時にも増して何を考へてゐるのか、どうしたいのだかてんで判らない伊藤猛が出会ふ。淳子の予知能力と、一樹が囚はれる鬱屈した決定論はある程度相性がいいともいへ、丸つきり初見の印象でこの期に見たザックリ脊髄で折り返した印象は、まあ暗澹といふ言葉くらゐしか見つからないどすダークな一作。葉月蛍と伊藤猛の、無表情な口跡と抑揚のない口跡とが挙句観念的か煮詰まり倒した台詞の応酬を苛烈極まりなく交す、過酷なキャスティングで映画のギアがヤバいドライブに入るのは、特段不思議ではないある意味想定内。特筆すべきは、ザックザク膳を据ゑて来るイズユキを、一樹が満足に躱すなりいなしさへしない、不毛な遣り取りにグッジャグジャ終始する一連の地獄絵図。伊藤猛はこの際兎も角、泉由紀子がこの人こんなに台詞回し下手糞だつたかな?と軽く耳を疑つた。寧ろ、よもや意図的にさういふ演技指導を施したのではとさへ思へかねなく、観る者なり見る者―当時的に、上映する形以外を想定してゐたのかは甚だ疑問でもあれ―を居た堪れなくさせることに、主たる目的を置いてゐたのではあるまいかといふ疑問に遂に達した。正直、あの頃は何でまた斯くも陰々滅々とした代物が持て囃されてゐたのか、マキシマム好意的に、過渡期の記憶にでも似た甘酸つぱい雑感ばかりが浮かんで来るアシッド・ピンク、アシッドの意味よう知らんけど。絶妙に含みを持たせた顛末も、抜けなさ具合を綺麗に加速。徹頭徹尾塞ぎ込んだ始終を一人飄々と駆け抜ける、軽やかに即物的な佐野がせめてもの救ひを担ふ清涼剤。裸映画的には最低限は余裕でクリアしてゐるかに一見見せて、事の最中平然と派手に飛ぶ頓着を逆向きに窺はせない雑な繋ぎは、腹の底のぞんざいさも透けさせる。

 二度目のクリスを経て、一欠片の手懸りも得られなかつた一樹が当てもなく適当に捜し始めたところ、サクッと買物中の淳子と再会を果たす、砕けた腰が原子に還るシークエンス。これもうナンジャコリャ映画だろ、ぼちぼち再評価の頭を冷やして罰は当たらないのではなからうか。


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