真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 スリと女と痴漢」(1991/製作・配給:大蔵映画/監督・脚本:小林悟/撮影:柳田友貴/照明:小野寺透/編集:フィルム・クラフト/助監督:青柳一夫・植田中/スチール:大崎正浩/録音:銀座サウンド/現像:東映化工/出演:高橋めぐみ・長崎ゆき・坂入正三・朝田淳史・石神一・板垣有美・冴木直)。
 出発する駅のホームを電車の中から抜いた画と、カーブを曲がる電車の画を適当に繋いでタイトル・イン。劇中団体名ママで大日本弁護士協力会に勤務する瑩子(高橋)が、AV畑で老人部男優として今なほ現役らしい―詳細求む―サカショーの電車痴漢を被弾する。ここで、一応でなく確かに美形ではあるものの、壊滅的に表情、もしくは生気さへ乏しい高橋めぐみに拭ひ難い違和感に関して、個人的に整理がついた。この人よくいへばマネキン、直截にはダッチワイフ顔なんだ。造作に引き摺られてか、あるいは化粧の塗り具合の問題なのか、質感から生身に見えない。駅を出たところで財布と、母親の形見のイヤリングを掏られてゐるのに気づいた瑩子は、その場で「ようし!」とポップに奮起。友人の多恵子に援軍を仰いでの、犯人捜しに着手する。とここまでは、驚く勿れ序盤にして最低限物語が出来上がつてゐる、かに思へたのに。
 配役残り長崎ゆきが、瑩子に呼びつけられたスナック「美風」―カウンター席に座つて摩天楼が背中に来るのが識別法―で待ち惚けを喰らはされる多恵子。小林悟映画でしか見なければ、未だ脱いでゐるところを見たことがない―別に見たいといつてゐる訳ではない―板垣有美は、実戦的な切札にと瑩子が連れて来た大弁協調査部のアツミタマコ女史。サカショーが痴漢かスリかで、下心をくすぐられなくもない多恵子と、杓子定規に喧々するタマコが対立するのは、後々ひとつの軸として機能するのかと思ひかけつつ、勿論そんな筈もなく。この件で一番面白いのは、痴漢の特徴を多恵子に問はれた瑩子の回答が、「ギョロ目で冴えない奴」。無造作に放られたど真ん中のストレートに、呆気に取られ喫した見逃し三振の如き清々しさである。とりあへず、瑩子と多恵子の二人で電車に乗つてみる。痴漢後、駅を出てから多恵子にトッ捕まつた石神一は、スリではないと頑なに否定した上で、劇中自己紹介ママで“自分は憲法第四十九条改定に基き編成された海外特別派遣協力隊員であります”。“改正”、ではなく憲法を“改定”するとは普通いはないが、そもそも日本国憲法第四十九条は議員の歳費に関する規定につき、また随分と瓢箪から駒な改憲をやらかしたものである。石神一が闇雲に“御国のために”を連呼するのも、実はこれで反戦平和主義者らしい小林悟が徒にポリティカルな方角にスッ転んでみせるのかと思ひきや、最早煌びやかなまでのその場限りでさうもならず。それはさて措き、電車痴漢再戦を経て尾行した瑩子が突き止めたサカショーの勤務先が、三流不動産と書いて読みはミツル。とかく枝葉ばかりが咲き誇る一作である、チャチい造花なんだけど。タマコが調べあげたサカショーの役名は佐々木、朝淳と冴木直については後述する。実車輌ショットを散発的に挿み込みながらも、絡み―あるいは俳優部が登場するカット―は全てセット撮影。中盤瑩子の傍らにボサーッと無防備に見切れるメガネは、青柳一夫なのか植田中なのか。
 改めて、「痴漢電車 スリと女と痴漢」。全く中身はないやうな気もするが気が利いて聞こえなくもない公開題に、その内バラ買ひするつもりでゐたら月額動画に流れて来た小林悟1991年第十三作、ピンク限定だと第十一作。薔薇族五本を含めての、全十七作といふのは何はともあれ凄まじい。今やローテーションを堅持してゐたとて、十七本撮らうと思へば五六年はかゝる。今作の十年後に壮絶な戦死を遂げる大御大の、逝去後ぼちぼち二十年。この期にピンク映画が命脈を保つてゐる僥倖を、寧ろ言祝ぐべきなのかも知れないが。
 閑話休題、珍しく早々にそれらしき道筋が出来上がつたにも関らず、木に竹ばかり接いでゐる内に、畢竟展開は順調に迷走する。最後のトライにタマコと電車に乗つた瑩子は、タマコの背後を取つた朝淳と冴木直の、冴木直の耳に母親のイヤリングを発見する。降車したのち冴木直を捕まへた瑩子は、拾つたと称する冴木直に招かれるまゝ家について行く。そこに遅れて朝淳が帰宅したところで、瑩子は想起する。本篇開巻画面左から佐々木に痴漢される瑩子の、更に右―無論実際にはカメラがそこまで行かない―には矢張りコンビで揃つた朝淳と冴木直が。大雑把なフラッシュバックで瑩子が辿り着く、朝淳が掏る男で冴木直がブツを運ぶ女だとかいふ出し抜けな核心に、呆れるのも通り越し畏れ入るのはそれでもまだ早い。二人して瑩子を嬲る最中、燃え上がつた冴木直と朝淳が完遂するのを待つて、何をどう突き止めたのか救出に飛び込んで来た佐々木と、瑩子が結ばれる最早感動的に底の抜けたラストはこれぞ正しくな大御大仕事。全体、斯様にちぐはぐな始終で大団円ぶるつもりかといつた以前に、土台が財布は兎も角、お母さんのイヤリングは依然冴木直の耳元にあるまんまでもある。最大限に好意的な評価を試みるならば、親の形見よりも、男の方が大事といふ瑩子の姿勢に、遠く遥か彼方の最終的には堕落論にも通ずる、即物性への肯定的な眼差しでも看て取ればよいのであらうか。安吾が落とした雷にでも打たれてしまへ、俺が。

 そんな中でのハイライトは、ダッチワイフ顔のビリング頭でなければ、これといつた代表作の見当たらなさが、消費財に徹した量産型娯楽映画に於ける女優部として、ある意味鑑ともいふべきトメに座る冴木直でもなく、長崎ゆきの濡れ場が一番の見所。着衣の状態だと単なる垢抜けない骨太程度に一旦見せかけて、一服剥ぐやなかなか以上に大きさも形も申し分ないオッパイに、意外とくびれた腰から充実した尻にかけてのラインが超絶、意表を突いた眼福を撃ち込んで来る。


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