真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「義理の妹 いけない発情」(2005/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/脚本・監督:関根和美/撮影監督:下元哲/照明:高田宝重/助監督:吉行良介/編集:《有》フィルムクラフト/音楽:ザ・リハビリテーションズ/録音:シネキャビン/撮影助手:中村拓・玄聖愛/監督助手:宮崎剛/スチール:小櫃亘弘/現像:《株》東映ラボ・テック/効果:東京スクリーンサービス/出演:出雲千尋・華沢レモン・森沢ゆう・松浦祐也・内山太郎)。
 サラリーマンの青木慎吾(松浦)が、一人暮らしの1DKかにくたびれ倒した様子で帰宅。自分で支度したブラックニッカのロックを、寂しく飲み始める。溜息混じりに杯を重ねたところで、そこそこの規模の地震発生。ひとまづ揺れが収まると、部屋の中にヒラヒラ一枚の紙切れが落ちて来る。それは、「とこしへに 忘れないよと 口ずさむ」(原文は珍かな)との川柳が書かれた短冊だつた。慎吾は感慨深げに拾ひ上げた紙片を見詰める、結果論ではあるが、ここからほぼ全篇を貫く長い長い長いひたすらにクッソ長い回想がスタートする。
 五年前、当時大学生の慎吾は、彼女・中尾エリ(華沢)との同棲生活をスタートする。同棲初日、エリの発案で神社に二人でお参りに行く。帰りしな、現に傾いてゐるやうにはあまり見えない点は些か落ちるが、ともあれ傾いた道祖神を見つけたエリは、路傍の神の佇まひを直して差し上げがてら、二人の行く末を再び祈る。ところがほどなく、二人を激震が襲ふ。バイト帰りに慎吾はリエの好物のモンブランを買つて帰るも、リエは鬼のやうな顔をして待つてゐた。慎吾とゼミ生後輩の火遊び写真が、エリに発見されてしまつたのだ。出演者クレジットにその他名前の見当たらない点を窺ふに、松浦祐也のリアル写真を大胆に流用したのでなければ、ここでの社会学科一年の前田寿々子(鈴子?)役は、もしかすると韓国人女性の撮影部サード・玄聖愛(ヒョン・ソンエ)か。
 用意よくトランクケースに纏めた荷物を抱へ、エリはとつとと出て行く。華沢レモンの、アグレッシブな瞬発力が活きる。とりあへず当てのないエリが、同郷兼サークルの先輩でもある、髪型もあり廉価版のヤックン―サムライゾンビでなく、薬丸の方―のやうな横山和男(内山)のマンションに転がり込む一方、成す術もなく部屋で頭を抱へる慎吾は、気づかぬ間に見知らぬ女―しかもムチムチの―がシャワーを浴びてゐるのに驚く。女は秋田から研修で上京のついでに立ち寄つた、中学で国語を教へるエリの姉・美沙(出雲)であつた。その夜美沙は慎吾宅に一泊、当然の如く夢でオトす姉妹丼なんぞも展開しつつ、翌日リエの前にも姿を現した美沙は、今度は慎吾の姉を名乗る。森沢ゆうは、横山の本命で23歳のOL・竹内梨香。横山が篭絡したリエに金を貢がせる皮算用を捻くりながら梨香を抱く様子を、美沙は超常的な力を駆使してリエに見せる。
 軽やかに割つてのけるが大筋としては、一組の男女の在り来りな危機に際し、道端の神様が信仰心とさゝやかな功徳とに免じ一肌脱いで下さるといふ物語である。件の神様が、セクシーな若い女の姿で御光臨あそばれる辺りが誠にピンク的に麗しいのはいいとして、兎にも角にも今作に関して特筆すべきは、まづ間違ひなく不作為的であらう、ゆゑにこそ実に関根和美ならではともいへる無頓着な大技が炸裂する、別の意味でのどんでん返し。改めて振り返るが開巻の一人酒の侘しいビートからは、オーラスにて明かされる慎吾の置かれた現況が感動的に窺へない。てつきり現在時制に於いても慎吾とリエとの関係は修復されてをらず、再び美沙の出番が来るものと、中盤通り越して終盤に差しかゝつた時点でもすつかり思ひ込んでゐた。それにしては確かに、尺の配分がまるで成り立ちはしないのだが。本来ならばオーソドックスな夜伽寄りの御伽噺の筈が、単なる個人的な早とちりかも知れないが、思はぬ方向から飛んで来た球に面喰はされる、よくいへばお茶目な一作である。

 ところで、初歩的かつ根本的な疑問なのが、“いけない発情”する対象といふのは、妹でなく義理の姉ではないのか?


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )