真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「すけべな団地妻 奔放な下半身」(2005『不倫団地 かなしいイロやねん』の2009年旧作改題版/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vシアター135/監督:堀禎一/脚本:尾上史高/原題:『草叢』/企画:朝倉大介/プロデューサー:福俵満・森田一人・増子恭一/協力プロデューサー:坂本礼/撮影:橋本彩子/照明:山本浩資/音楽:網元順也/助監督:伊藤一平/編集:矢船洋介/スチール:山本千里/録音助手:梅沢身知子/出演:速水今日子・森田りこ・佐々木ユメカ・吉岡睦雄・伊藤猛・マメ山田・下元史朗・冴島奈緒・藤本風・本多菊雄・川瀬陽太、他多数/友情出演:飯島大介、他)。出演者中、本多菊雄以降は本篇クレジットのみ。結構な情報量を無造作に二息で見せるクレジットに、完敗するのも通り越し呆れ果てる。満足に見せる気がないのなら、初めから打たなければいい。
 大阪の周辺都市、人妻の寺森秋江(速水)がテレクラで知り合つた砂井進次(吉岡)と遊ぶ。当たり前のやうに避妊しようとする砂井を、秋江は遮る。秋江は、子供の産めぬ体であつた。何れにせよ、ほかに予防しなければならないあれこれもあるだらうに。楽しく致した後、自転車が盗まれてゐるのに顔色を俄に変へた秋江は、鍵を押しつけるやうに渡し、その夜は砂井と別れる。秋江は団地住まひで、夫・和彦(伊藤)は外に作つた女の下に入り浸り自宅には帰らなかつた。時折、秋江が昼間工場でのパートに出てゐる隙を窺ひ、和彦は着替へを取りに戻つた。団地に出入りするちり紙交換車の運転手といふ形で、秋江は砂井と思はぬ再会を果たす。
 埒が明かぬゆゑ配役から片付けると、まづはリストラの気配に漠然とした不安の広がる工場から。ビリングからも推定される通りに別に脱がない藤本風は、子供と喧嘩してばかりの若い同僚・ユキ。下元史朗は管理部門の主任・林、飯島大介は阪神帽を常用する作業員。ファースト・カット、普通人ならばあり得ないポジションから姿を現す反則スレスレの映像マジックを可能ならしめるマメ山田は、キレ者なのか間抜けなのかよく判らない、無闇に髪の長い社長。川瀬陽太は従業員に檄を飛ばす社長を持ち上げて机の上に載せてあげる背広組、クレジットが追へなかつたので菊次朗かも知れない本多菊雄は、社長のスピーチの最中藪から棒に感激し万歳を始める作業員。こちらも矢張り濡れ場は回避する冴島奈緒は、持ち回りの団地の役員を務める清水。子連れながら全身をピンク色で固める、正直あまりお近付きになりたくはないアレな造形。ここから濡れ場も担当するのは、森田りこが高松から砂井を慕ひ大阪にやつて来た人妻・ちはる、子供は喪つたとのこと。佐々木ユメカは、低目のビートで秋江に果敢な正面戦を挑む寺森の不倫相手・美香。虚勢を張つてか、夫にしがみつく秋江にも女を捨てられない寺森に対しても見切りをつけるやうな素振りを匂はせる反面、秘かに寺森の子供を堕ろす腹である旨を秋江には告白するに至つて、本当は本妻から男を奪ひたい愛人の弱みも見せる。ここでの、さりげない顔色に揺れ動く心情を超絶に表現してみせる佐々木ユメカの名演が、今作のハイライト。ほかに、工場と団地妻のその他皆さん、清水の未だ小さい娘等々、ピンクにしては信じられないほど大勢出演する。涼樹れん(現:青山えりな)や風間今日子も見切れてゐるらしいが、登場もクレジットもともに確認出来なかつた。出演者に加へ、全然拾へなかつたが協力もまるで一般映画並みに膨大。一体今作のプロダクションに、この時何が起こったのか。
 再会後、砂井は半分自嘲気味に秋江に語る。自分はゴミのやうな人間かも知れないが、ゴミは所詮ゴミなので失はれてしまつたとて大したことはなく、さう考へるとそれはそれなりに安心出来る。話が今作からは反れるが、この、砂井のネガティブな一種の諦観はオフェンシブに突き詰めればかつて山本圭演じた古賀勝にも通ずる、極めて重要な思想である。ダメ人間はダメ人間だからこそ、最期まで戦ひ抜くべきだ。否寧ろだからこそ、戦ひ抜くことも出来るのではないか。軌道を修正して美香の見せる揺動を頂点に、僅かな粗相も一見見当たらない場面場面は、シークエンス単位で掻い摘む分にはそれなり以上の充実を見せる。ものの、そこから一本の映画全体に対して満足した首を縦に振れるのかといふと、残念ながらさうはならない。断片的には強い輝きを感じさせつつ、最終的にそれらがひとつの大きな物語へには、まるで繋がつて行かない。堂々と割つてしまふが、最終的に何処を目指すでもない秋江が、ぼんやりと無断欠勤し林からの電話にも出ないなどといふある意味絶望的なラストは、一体全体何事か。改めて以降の作品も鑑みるに、堀禎一といふ人は恐らく、十全な起承転結を纏め上げる能力を持ち合はせるものではあるまい、と少なくとも結果論としては難じざるを得ない。仮に判断材料といふ名の素材だけを提供しておいて、後は観客の判断に委ねて済ますつもりであるならば、さういふ態度に対しては、個人的には大いに如何なものかと感ずる。譬へればそれは農家や漁師の仕事で、映画監督―少なくとも娯楽、あるいは商業映画の―といふ職業は、料理人であるべきではなからうか。のうのうと明後日に筆を滑らせると、かういふ雰囲気だけならばあるものの、要は生煮えた映画を妙に持ち上げてみせる姿勢はいはばシネフィルのもので、それはピンク映画にとつては、決してためになるものではないやうに思へる。

 開巻に見当たらなかつたので新版公開に際し切られたものかと早とちりしてしまつたが、“第2回月刊シナリオピンク映画シナリオ募集準入選作”云々は、情報過多なエンド・クレジットのどさくさに紛れる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )