チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

不気味な孤立感を味わった明石での三日間

2014-11-28 15:11:19 | 身辺雑記
11月28日(金)

 24日の休日に逗子から明石に戻ったのですが、新大阪駅で新幹線から降りて数分後に、ポケットにスマホがないことに気がつきました。

 今は「こだま」のグリーン車が格安なので、時間を気にせずにゆったり乗っていたのですが、米原辺りから新大阪へ着く寸前までウトウトしていて、あわてて降りたことを思い出すと、誰だって、座席に置き忘れてきたと考えます。

 ふり返ると、もともと空いていた車内は、名古屋からさらにがら空きとなり、終点の新大阪では数人しか乗っていませんでした。たしか、私がいちばん最後に降りましたから、おそらく誰も気が付くはずはないし、幸いなことに、新大阪止まりの車両はそのままいったん待避線に回送されたはずなのです。

 「大丈夫、一度清掃があるだろうし、戻って来るはず」と、心に言いきかせて駅の遺失物取扱所に申し出たところ、「小一時間ほど間をおいてほしい」という指示。仕方なく、ふだんあまり歩くことのない駅周辺を散策していました。

 ところが、駅に戻ると、発見されたという報告がまったく届いていないのです。「どうして?」と不審に思いながら、新大阪駅に二時間半ほどいたのですが、結局、「今日は無理なようですから、警察に届を出しておくしかないでしょう」ということばを受け取って、寂しく帰途につきました。

 仮に再びその列車が運行したとしても、誰かが見つけてくれていれば、車掌に渡してくれるはずだし、保管先が名古屋駅であれ東京駅であれ、連絡が来るに違いないと思ってはみたものの、もしかしたら、そんなのはお人好しの甘い考えなのかもしれません。
 世の中には、携帯やスマホの端末を買い取るところもあるのかもしれないなどと考えているうちに、どんどん不安になってきて、明石駅で降りた後、すぐにドコモショップへ飛び込みました。

 とりあえず、遠隔操作で通信通話機能と保存データのロックをしてもらい、次に、GPSによる位置確認をしてもらいましたが、これは反応がありませんでした。さらに、紛失してからロックをかけるまでの数時間の利用状況を調べてもらったところ、利用履歴がなかったので、仮に、盗まれたり持ち去られたりしたとしても、悪用はされないだろうということで一安心。あとは連絡が入って、手元に戻って来ることを待つだけになりました。

 ところがどっこい、問題は山積みなのでした。

 私の部屋には固定電話がありません。携帯はなくなりました。これから数週間、明石でと思って帰って来たのに、紛失物発見の連絡先は逗子の自宅にするしかありません。そして、そのことを妻君に知らせなければなりません。ところが、自宅へ電話をかけると、あいにくの留守電。メッセージを入れたとしても、妻君は私に連絡する術がないのです。

 この時、私が覚えていた電話番号は自宅だけで、妻君の携帯番号もスマホの電話帳の中にあってわかりません。KAZU君の家の電話番号はもちろん、お父さんやお母さんの携帯の番号もわかりません。部屋に戻ればパソコンのメールは打てますが、携帯のアドレスは保存してないのでどうにもなりません。

 夜7時、ようやく自宅に電話が通じ、KAZU君の家の電話番号をメモすることができ、KAZU君のお父さんとも話ができました。

 その後、疲れ果てて部屋に帰りましたが、なにか落ち着かないのです。どこかへ連絡を取ろうとしても、周囲に公衆電話はなく、歩いて数分の駅まで行かなければなりません。そして、自分の所には、どこからも絶対に連絡が入らない状態なのです。なんとも言い難い妙な不安感。不気味な疎外感。一時的であるとはいえ、自分と関わりのある人との関係が完全に遮断されているという孤立感におそわれました。
 テレビをつけると、お馴染みの人がしゃべっています。でも、ふだん自分との関わりがある人ではありませんから、こういう状況だと、ただ耳障りな音声としか聞こえてこないのです。意味のわからない外国語を聞いているのと同じで、言うなれば、一人ニューヨークかなんかの街中に放り出され、ホテルの一室にたどり着いたかのような気分です。

 思えば、携帯電話なるものを手にしてから、まだ20年経っていません。いったい、それ以前はどんな感じで生きていたのでしょうか。ついこのあいだのような気もするのですが、仮にそのころの状態の中で明石に来ていたとしたら、そんじょそこらに公衆電話があったとしても、やっぱり固定電話機は不可欠だったのでしょうね。

 先端技術の新しい物がどんどんと現われて、便利さを求めてそういう物を次々と手にしていく現代人。年寄りだって負けてたまるかと、二年前からスマホと格闘して、ようやく手慣れてきた時に味わった欠落感。時代の流れに乗るというのは、一歩間違えればその波に溺れてしまうということなのかもしれません。スキを見せたらとんでもないことになるということを味わってしまった顛末です。

 やはり、一度手にした便利なものは、麻薬と同じで手離せないということです。大阪から明石へ向かう電車の中では、貴重な電話帳データーが入っている機器なので、しばらくは発見の連絡を待とうかと思っていましたが、異様な孤立感の中で一晩過ごした後、「これはだめだ」と、すぐに次の機種を手に入れるべく手配をし、昨日から、今までの電話番号とメールアドレスのままで復活することができました。

 そこで、昨日さっそく、「おさいふケイタイ機能」である「モバイルスイカ」を再設定したところ、残高がそのまま移行できました。ということは、意図があって持ち去られたのではないのかもしれません。
 もしそうだとすれば、
 見失ってから丸4日。まだどこかに埋もれているのか、さまよっているか、もしかしたら、大切なデーターが戻ってくるのかもしれないと、一縷の望みというか未練がましい気分を拭い去ることができません。なにしろ、新しいスマホには、まだ家族のデーター以外は全く入っていない状況なのですから。

 ・・・・・そこで、お願いがあります・・・・・

 このブログをご覧になった方で、今までに私と携帯で通話やメールを交わしたことのある方がいらっしゃいましたら、電話番号を記したメールをお送りいただけると幸いです。勝手な依頼で恐縮ですが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。


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