チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

南紀巡り(その2)-メインの「熊野三山」

2014-11-01 14:45:28 | 旅行
11月1日(土)

 時間があったら、難波から南海電車に乗って一度高野山へ行って、その次が「熊野詣で」かなと思っていましたが、順番が逆になったようで、初の和歌山紀行二日目は、いよいよメインの「熊野三山」です。

 白浜から熊野方面へ向かう最初の特急は、前日に新大阪から乗った「くろしお」で、紀伊勝浦や新宮に着くのがお昼近くになってしまいます。
 それではと覚悟を決めて、二日目の朝は宿での朝食をあきらめ、朝一番の白浜駅6時33分発の普通電車に乗り込みました。

 8時前に本州最南端の駅
  串本に着きました
  

 串本を出てまもなく、
  名勝「橋杭岩」
  

 新宮までは電化されている紀勢本線とはいえ、なにしろ単線の鈍行列車。串本からさらに一時間あまり電車に揺られて、終点の新宮には9時過ぎに着きました。

 レンタカーに乗って、まずは、新宮駅に近い
  熊野速玉大社を参拝
  

 次は、勝浦方面に戻って、熊野那智大社を目指します。気になるのは上空の薄暗い雲。

 小雨の中の
  「那智滝」
  

 ずいぶん階段を上りました。
  雨に煙る那智大社
  

 30分ほど雨宿りをしていると、雨が収まり、突然霧が晴れて、

 青岸渡寺の三重塔の先の
  那智滝も姿を現わしました
  


    秋霖に幽かに現はる那智の滝   弁人


 この後天気が回復、下りの参道沿いの景色の良い茶屋で遅めの昼食の滝見そばに舌鼓。新宮に戻り、熊野川沿いの国道を40分ほど北上すると、

  熊野本宮大社に到着
  

 那智大社ほどではありませんが、
  けっこう階段を上りました
  

 本殿は
  四社並んだ荘厳な佇まい
  

 造りは入母屋ですが、西の二つのお社は左右が切り妻に、東の二つのお社は正面が切り妻になっているのはなぜでしょう。

 それはともかく、これで熊野三社を全てお参りしたことになりますが、熊野本宮大社の入り口の鳥居から10分ほど歩いた熊野川の畔に、もう一つお参りするところがあります。

 十数年前に建てられた鳥居。
  大きさは日本一とか
  

 私の記憶では、奈良桜井の大神神社の大鳥居がいちばんと思っていましたが、たしかに、この鳥居のほうが大きいのかもしれません。中央上部に八咫烏が金色に輝き、なかなか壮観です。
 実は、その昔は、この鳥居の向こうの中州の森に熊野坐神社(熊野本宮大社の正式名)が鎮座していたのです。明治22年の大洪水で流出した中四社と下四社をこの地に残し、かろうじて流出を免れた上四社の社殿を今の北東の山に移築、遷座したのです。

 中四社と下四社の石祠が残る
  「大斎原(おおゆのはら)」
  

 ここは、熊野川に音無川と岩田川の二つの川が合流する中州の森です。熊野三山をはじめ、近年「パワースポット」ということばが流行っていますが、ここも熊野のパワースポットとして注目されているそうです。とはいっても、本宮大社とは比べものにならないほど人影がまばらで、たしかに静かで落ち着いた空気に満ちた森になっていました。


    十月の杜(もり)に潜むか八咫烏  弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする