11月1日(土)
時間があったら、難波から南海電車に乗って一度高野山へ行って、その次が「熊野詣で」かなと思っていましたが、順番が逆になったようで、初の和歌山紀行二日目は、いよいよメインの「熊野三山」です。
白浜から熊野方面へ向かう最初の特急は、前日に新大阪から乗った「くろしお」で、紀伊勝浦や新宮に着くのがお昼近くになってしまいます。
それではと覚悟を決めて、二日目の朝は宿での朝食をあきらめ、朝一番の白浜駅6時33分発の普通電車に乗り込みました。
8時前に本州最南端の駅
串本に着きました
串本を出てまもなく、
名勝「橋杭岩」
新宮までは電化されている紀勢本線とはいえ、なにしろ単線の鈍行列車。串本からさらに一時間あまり電車に揺られて、終点の新宮には9時過ぎに着きました。
レンタカーに乗って、まずは、新宮駅に近い
熊野速玉大社を参拝
次は、勝浦方面に戻って、熊野那智大社を目指します。気になるのは上空の薄暗い雲。
小雨の中の
「那智滝」
ずいぶん階段を上りました。
雨に煙る那智大社
30分ほど雨宿りをしていると、雨が収まり、突然霧が晴れて、
青岸渡寺の三重塔の先の
那智滝も姿を現わしました
秋霖に幽かに現はる那智の滝 弁人
この後天気が回復、下りの参道沿いの景色の良い茶屋で遅めの昼食の滝見そばに舌鼓。新宮に戻り、熊野川沿いの国道を40分ほど北上すると、
熊野本宮大社に到着
那智大社ほどではありませんが、
けっこう階段を上りました
本殿は
四社並んだ荘厳な佇まい
造りは入母屋ですが、西の二つのお社は左右が切り妻に、東の二つのお社は正面が切り妻になっているのはなぜでしょう。
それはともかく、これで熊野三社を全てお参りしたことになりますが、熊野本宮大社の入り口の鳥居から10分ほど歩いた熊野川の畔に、もう一つお参りするところがあります。
十数年前に建てられた鳥居。
大きさは日本一とか
私の記憶では、奈良桜井の大神神社の大鳥居がいちばんと思っていましたが、たしかに、この鳥居のほうが大きいのかもしれません。中央上部に八咫烏が金色に輝き、なかなか壮観です。
実は、その昔は、この鳥居の向こうの中州の森に熊野坐神社(熊野本宮大社の正式名)が鎮座していたのです。明治22年の大洪水で流出した中四社と下四社をこの地に残し、かろうじて流出を免れた上四社の社殿を今の北東の山に移築、遷座したのです。
中四社と下四社の石祠が残る
「大斎原(おおゆのはら)」
ここは、熊野川に音無川と岩田川の二つの川が合流する中州の森です。熊野三山をはじめ、近年「パワースポット」ということばが流行っていますが、ここも熊野のパワースポットとして注目されているそうです。とはいっても、本宮大社とは比べものにならないほど人影がまばらで、たしかに静かで落ち着いた空気に満ちた森になっていました。
十月の杜(もり)に潜むか八咫烏 弁人
時間があったら、難波から南海電車に乗って一度高野山へ行って、その次が「熊野詣で」かなと思っていましたが、順番が逆になったようで、初の和歌山紀行二日目は、いよいよメインの「熊野三山」です。
白浜から熊野方面へ向かう最初の特急は、前日に新大阪から乗った「くろしお」で、紀伊勝浦や新宮に着くのがお昼近くになってしまいます。
それではと覚悟を決めて、二日目の朝は宿での朝食をあきらめ、朝一番の白浜駅6時33分発の普通電車に乗り込みました。
8時前に本州最南端の駅
串本に着きました
串本を出てまもなく、
名勝「橋杭岩」
新宮までは電化されている紀勢本線とはいえ、なにしろ単線の鈍行列車。串本からさらに一時間あまり電車に揺られて、終点の新宮には9時過ぎに着きました。
レンタカーに乗って、まずは、新宮駅に近い
熊野速玉大社を参拝
次は、勝浦方面に戻って、熊野那智大社を目指します。気になるのは上空の薄暗い雲。
小雨の中の
「那智滝」
ずいぶん階段を上りました。
雨に煙る那智大社
30分ほど雨宿りをしていると、雨が収まり、突然霧が晴れて、
青岸渡寺の三重塔の先の
那智滝も姿を現わしました
秋霖に幽かに現はる那智の滝 弁人
この後天気が回復、下りの参道沿いの景色の良い茶屋で遅めの昼食の滝見そばに舌鼓。新宮に戻り、熊野川沿いの国道を40分ほど北上すると、
熊野本宮大社に到着
那智大社ほどではありませんが、
けっこう階段を上りました
本殿は
四社並んだ荘厳な佇まい
造りは入母屋ですが、西の二つのお社は左右が切り妻に、東の二つのお社は正面が切り妻になっているのはなぜでしょう。
それはともかく、これで熊野三社を全てお参りしたことになりますが、熊野本宮大社の入り口の鳥居から10分ほど歩いた熊野川の畔に、もう一つお参りするところがあります。
十数年前に建てられた鳥居。
大きさは日本一とか
私の記憶では、奈良桜井の大神神社の大鳥居がいちばんと思っていましたが、たしかに、この鳥居のほうが大きいのかもしれません。中央上部に八咫烏が金色に輝き、なかなか壮観です。
実は、その昔は、この鳥居の向こうの中州の森に熊野坐神社(熊野本宮大社の正式名)が鎮座していたのです。明治22年の大洪水で流出した中四社と下四社をこの地に残し、かろうじて流出を免れた上四社の社殿を今の北東の山に移築、遷座したのです。
中四社と下四社の石祠が残る
「大斎原(おおゆのはら)」
ここは、熊野川に音無川と岩田川の二つの川が合流する中州の森です。熊野三山をはじめ、近年「パワースポット」ということばが流行っていますが、ここも熊野のパワースポットとして注目されているそうです。とはいっても、本宮大社とは比べものにならないほど人影がまばらで、たしかに静かで落ち着いた空気に満ちた森になっていました。
十月の杜(もり)に潜むか八咫烏 弁人