チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

人であふれる秋の京都で「鳥獣戯画」鑑賞

2014-11-10 15:50:28 | お出かけ・散策
11月10日(月)

 京都の国立博物館へは、去年の四月に一度行きましたが、その時は本館の北西に新しい展示館を建設中で、本館(明治古都館)で特別展を鑑賞しました。
 その建設中だった新館(平成知新館)は昨年完成したそうですが、一年ほどかけて中の空気を入れ換え、この秋にオープンしたという話題を耳にしました。

 今は出口として利用されている
  風格ある正門
  

 正門から本館に向かって左(北側)にできた
  平成知新館
  

 そのうち行ってみようかと思って調べたところ、オープン記念かどうか、現在、大阪の金剛寺が大修理中で、その本尊の大日如来が期間限定で展示されているとのこと、この機会を逃すまいと気が急いていました。

 ところが、この秋、
  本館ではこんな催しが
  

 修理修復を終えた国宝「鳥獣戯画」の展覧会です。これが大人気で、連日たいそうな人が押し寄せているのです。

 新館だけなら並ばなくても見られそうなのですが、人気の展示を素通りするのも間の抜けた話、それではと、先週6日の木曜日に早起きをして出かけました。

 情報によると、昼間は入館するのに1~2時間、さらに展示室の中で30~1時間並ばないとお目当ての「鳥獣戯画」の前には行けないとのことで、いちかばちか、9時半の開館の30分くらい前に行ってみようと京都へ向かいました。

 博物館へは、京都駅からバスで10分ほど。8時半にバスターミナルに着いてほどなくやって来たバスは、清水寺・八坂神社・平安神宮・銀閣寺方面に向かう路線なので超満員。修学旅行自由行動の中高生もたくさん乗っていて、三十三間堂の前でバスを降りるのも四苦八苦でした。

 8時50分。行列は東大路の
  智積院の前まで延びていました
  

 まもなく行列が前に進んだので、おそらく開館を早めたのでしょう。9時過ぎには本館前まで進みました。

 うしろも長蛇の列。
  開館前に来てよかったようです
  

 9時半過ぎに入館できました。最初に高山寺の展示があって、順路どおりに見ていきましたが、中の通路を知っていれば、後で戻れそうな感じでしたから、さっさとお目当てのほうへ行っておけばよかったのかもしれません。館内で再び30分ほど並んでやっと「鳥獣戯画」とご対面。


   芸術の秋に生き生き漫画の祖   弁人


 残念だったのは、案内やポスターには「一挙公開」とあるのに、これ、実は「看板に偽りあり」なのです。甲巻から丁巻まで全部展示されていましたが、この展覧会、どうも前期と後期に分かれているようで、この日はすでに後期に入っていて、各巻とも後半部分だけしか見られないのです。
 こんなに人が押し寄せているのに、立て続けに京都旅行など難しい遠方からの来館者も多いのに、一回で全部見られないというのはなんとも理解しがたい企画です。

 次、甲巻の前は一列になるので、待たされるのは仕方ありませんが、係員がマイクで、さっさと前に進めとさかんに促します。私は音声ガイドを耳にして、その説明にしたがって進んでいただけなのに、前の人と2メートルほど空いてしまい、気が付いた時にかなり後ろめたい思いをしました。しばしの間立ち止まってみとれていたのなら仕方ありませんが、ガイドに沿って進んでいるのに急かされるのも納得できませんでした。

 もう一つ、係員が指示を出すのは甲巻だけで、乙巻からは自由観覧になっているのです。つまり、一般の展示と同じで、列のうしろから眺めてもいいということなのです。たしかに、うしろにいると、ゆっくり見ている人の前が空いたりするので、絵の前に行くこともできます。でも、きちんと見たい人は前列に行きたいので、自然に長い列ができてしまいます。この自然の列というのがやっかいで、甲巻を見終わった一部の人が自由観覧を理由に列を無視して展示の隙間に入ってしまったりします。
 心配したとおり、観覧者の間でちょっとしたいさかいが生じました。係員が来て、列に並ぶよう指示が出ると、「自由観覧ではないのか」とさらにもめてしまい、とてもとても、国宝をゆっくり鑑賞する状況ではありませんでした。

 昔の話ですが、高校一年生の時、「ミロのビーナス」が上野の近代美術館にやって来ました。美術の先生が授業で「ぜひとも見ておくべきだ」と力説するので、土曜日の午後、友人と行ってみました。あの時もずいぶん並んで、やっと中に入ったら、立ち止まらないで進めという指示の中、前の人を押さんばかりにうしろの人に押されて、あっという間にほぼ一周して出口から出てしまいました。「これは平日に来るしかない」と言い合って、二人で何日か後に、学校に行かないでゆっくり見たことを思い出します。
 初めて、学校をサボって担任から叱られたのですが、私も友人も無言のまま下を向いて、担任の叱責はまったく馬耳東風の体で終えた思い出があります。

 芸術の秋。博物館自体は
  風格があります
  

 このあと、本来の目的の平成知新館に入りました。危惧していたとおり、ここも本館の観覧を終えた人の多くが入館しているので、ゆっくり見る状況ではありませんでした。
 展示室は1階から3階まで多彩で、この状態で全部見るのは無理かなと思いましたが、どうしても拝観したかった仏像のコーナーだけは素通りできません。

 さすがに、金剛寺の大日如来像は見応えがあり、しばし疲れを忘れさせてくれました。京都の西住寺の宝誌和尚立像もユニークでした。写真は載せられませんが、宝誌和尚の顔が左右にわずかに裂けて、その中に頭上面を頂いた観音像が彫られているというやや不気味ながら印象的な木像です。

 仏像を拝観しているうちに気分も落ち着いて、3階までひと通り観覧して外に出ると、昼食も済ませていないのに、もう14時を回っていました。

 博物館西の正門を出て北へ向かうと、秀吉ゆかりの豊国神社と方広寺がありまして、その前の小さなおそば屋さんでお昼を済ませると、もう15時になっていました。でも、この日は保育園の迎えを頼んでいたので、もう少し歩いてみることに。

 秀吉を祀る
  豊国神社
  

 神仏分離で分かれてしまいましたが、隣に大仏があった方広寺があります。博物館の平成知新館の入り口の池の中には、当時の方広寺の柱の礎石の位置を示すオブジェが置かれていますが、創建当時は、国立博物館の敷地を含めて、三十三間堂のほうまでの広さを誇っていたようです。

 神社の境内のすぐ北に、
  方広寺の大梵鐘が今も残っています
  

 これが豊臣家滅亡のきっかけとなった問題の梵鐘です。家康を冒涜したと言われた「国家安康」の銘文がどこかにあるはずなのですが、よくわかりませんでした。

 表通りに出ると、
  大仏殿の石垣が残っています
  

 夕暮れも間近、そろそろ帰ろうかと、七条大橋の東詰まで歩いてバスを待ちましたが、来るバスはみな満員で素通りしてしまいます。紅葉の見ごろには一歩手前とはいえ、秋の京都はほんとうに大変な人出なのでした。


   バス停もあふるる人の古都の秋   弁人


 京都駅まで1キロほどで、タクシーを拾うまでもないと、結局歩いてしまいました。


コメント
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