久しぶりの雨のあと。久しぶりに水玉拾いに出る。
このごろ集中力が足りなくて(カメラが重い…)あまりいいのが撮れないなあ。
朝起きて曇りや雨だと、元気が出ない。
このままあと24時間眠っていようかと、一瞬考える。
雪国や、冬じゅうお日さまの出ない北極圏では暮らせないかも。
地底、海底、宇宙ではなおのこと、ぜったい無理。
(ひきこもりのくせに閉所恐怖症気味、明るいの好きだけど眩しいのは駄目という…笑)
えりかさんにいただいたヒンメリをモビールにして、クリスマスを過ぎても飾っている。
北欧の伝統的な麦藁細工だ。太陽は生命の象徴。光は希望。
日本でも稲藁で正月飾りをこしらえたりするけれど、麦藁には軽さとつやと透明感があり、同じ穀物でも稲作文化とは異なるものを感じる。
日本だと、たとえばみかんの黄色や、障子の白が、光を呼ぶ役目を果たしているのかもしれない。
LEDライトはすみずみまで明るく照らしてくれるけれど、気持ちまで明るくすることはできない。お日さまはだいじです。
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スーパーの食品売り場に、パックに入った鍋の素が大量に並んでいる。
キムチ鍋、豆乳鍋、豚しゃぶ、海鮮、トマト、あごだし、鶏ガラ、などなどなど。
「これって、何?」とMが聞くので、ひとつ手にとってみたが、実体がよくわからない。
「具が入ってるの?」「入ってない。だしだけみたい」「え~?」
「気になるなら買ってみたら?」と言ったけれど、ずいぶん種類がたくさんあって、見るだけで疲れる。
「味が濃そうだよね」「そうね」
というわけで、まだ試したことがありません。
鍋物といえば、せいぜい昆布でだしをとるくらい、あとは具材からだしが出て美味しくなる。つまり、入れるものによって違う味になり、それを各自ポン酢や醤油で食べるものだと思っていたから、最初から味つきで煮るという発想がなかった。
(おでんやすき焼きは調味料で煮るけれど…あれはいわゆる「鍋物」とは別ジャンルですよね)
ああいう商品、昔はなかったと思う。鍋料理って、流行っているの?
大家族でひとつの食卓を囲むということも減ったのに、意外と若い人まで、鍋、鍋と嬉しそうに言うのが不思議だ。シメに何を入れるかなんて話題でTVも賑わっている。
もしかしたら、必要なのは鍋ではなくて、火だろうか。
暖房はヒーターかエアコン、調理も電気になり、マッチが擦れないどころか、燃える火を見たことのない子どもだっているだろう。
それでも寒くなると、ヒトの中に眠っている原始的な本能が呼び覚まされ、みんなで火を囲んであったまりたい! と強く思うのではないかしら。
土鍋をのせたカセットコンロこそ、現代の焚き火。人類の過去と未来をつなぐもの。きっとそうに違いない。
年末からぽつりぽつりと咲き始めた河津桜。年明けても、ぽつりぽつり。
今年は去年よりピンクが濃い、ような気もする。
おっと、3月並みの気温だからって、まだ脱ぐのは早いよ猫柳ちゃん。ほんとの寒さは、これから、これから。
本日のコマティキ。
麦藁色です。
畑の野菜のようすを見に来ました。
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