閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

白い花・その2

2018-05-25 23:19:05 | 日々

白といえば「卯の花」のウツギ。
マルバウツギと入れ替わりで咲き始めた。
卯の花といえばホトトギス…だけど、今年は2日か3日鳴いただけで、どこかへ行ってしまった。

 

山で遠くから目立つ白はガマズミ。

 

水玉つき!

 

庭では、ユキノシタ。

 

鳥よけネット。

 

水玉つき(笑

 

空飛ぶ金魚たち。

 

桑の実も色づき始め。

 

ブルーベリーは、まだまだね。

 

ところで、
1年以上前に「ショーウィンドウの飾りつけがお正月で止まったままのコンビニ」の話を書きましたが、(こちらです→豆大福の謎)その後の話を。

昨年5月、お正月からいきなりトロピカルになり、秋にはお月見バージョンも登場したので、よしよし、と思っていたら、またそこで止まっちゃいましてね。
ふたたび5月がめぐってきたのに、コンビニは去年の秋のまま。
満月とおぼしき黄色い円をバックに、色紙のもみじとぶどうがぶら下がり、下には栗のイガ?と、徳利に盃?と(「?」がつくのは、よく見えないから)、片隅には猫の顔のクッションがぽんと置いてあったり。
車で通るたびに、どんどん色あせていくもみじをちらっと見る。
すると必ず「豆大福」の立て看板も目に入る。
あんこの和菓子が特別好きというわけではないけど、それを見ると食べたくなってしまうので困る。
季節はずれのショーウィンドウは、豆大福のための「おとり」もしくは「罠」として、じつは巧妙に計算されたものではないだろうか。
このコンビニは、何かの実験の場であるような気がしてきた。

コンビニの向かい側は、長年行きつけのガソリンスタンドだったが、昨秋に閉店してしまったので寂しい。 
前後して、西タウンのなじみのスタンドも閉店し、やむをえず、東シティのセルフのスタンドを利用するようになった。
最初は勝手がわからず、メーターが動いてないのに気づかなくて、なんかおかしいなと思いながらずーっと待ってたこともあったけど、もう慣れました。
まあね、何だって、やればできるのよ。

 

本日のコマちゃん。

遊ぶ。そして、

 

寝る。

 

本日の「いいね!」


Radical Fashion from the Schembart Carnival (1590)

シェンバート・カーニバルというのは、15世紀半ばにドイツのニュルンベルクで行われていた祭り。
奇抜な衣装と仮面をつけ、山車をひいて通りを練り歩く。
しかし、年と共に風刺的な傾向が強まり、町の有力者を揶揄する内容になってきたため、1539年に中止となった。
これらの衣装のデザインは、数10冊の本に描かれて残っている。

手に持っているのはアーティチョーク…ではなくて、何かの葉っぱを束ねたもので、中に花火が仕込んであるらしい。
絵の横に紋章みたいなものがついているのは、誰が何を着たという記録になっているのかな。

祭りというものは、宗教行事としてのオゴソカな面ももちろんあるけれど、それ以上に、憂さ晴らしあるいはガス抜き的な意味も大きいんだろうと思う。
仮面や仮装で非日常空間を演出し、その日だけ「自分でないもの」になりきって、思いきり羽目を外す。
みこしを担いだり、山車を引いたり、歌ったり、踊ったり、高揚して騒いでへとへとになり、酒飲んでごちそう食べて、今年も無事にやり終えたという達成感と安堵感に浸って、バッタリ寝る。
祭りを実行するには、段取りや準備から、本番、そして後片付けに至るまで、みんなで力を合わせないとできない。それには相当のエネルギーが要るから、年に何度もやれるものではない。
民衆のエネルギーをまとめてそっちに向けておくというのは、支配層にとっても都合のよいことで、だからどこの国でも祭りは奨励される。オリンピックなどもそのひとつかもしれない。
記録に残るシェンバート祭りの山車は、船に車のついた形をしているが、日本の祭りの山車にもよく似たものが各地にある。風習や文化の違いを超えた類似性は興味深い。
その山車に「愚者や悪魔と地獄でサイコロ賭博に興じる司祭様」の人形を乗せちゃったのがまずかったんでしょうね。
ざっくり作ればよかったものを、本物そっくりに作ったら、そりゃ怒るわなあ、司祭様。

こちらは現代に再現されたカーニバルの様子。

Schembart Gesellschaft

祭りというより観光イベントのようですね。
行列の最後に肉屋さんたちが歩いてくるのは、この祭りのそもそもの由来をあらわしているらしい。気になる方は調べてみてください。

 

コメント
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