暑さ寒さも彼岸まで。
ヒガンバナの季節もそろそろ終わりです。
この花を鹿が(好んで?)食べるようになったため、柵の外には1本も見られなくなってしまった。
逆に庭の中ではどんどん増えて過密状態になっている。
綺麗な花ではあるけれど、協調性に欠ける色だし、大きいので、こればかり増えすぎるのも困ったものだ。
あ、コスモスが入った!(笑)
ヒガンバナは3倍体なので種子ができない、という。
3倍体ってなあに?
検索したら「3組のゲノムを持つ細胞からなる個体」だそうです。
ゲノムってなあに?
…と、理科に弱い閑猫、調べれば調べるほどわからなくなるので、やめておきましょう。
まあとにかく、染色体の数がどうとかで、種子ができない、と。
そこで、謎その1。
じゃあヒガンバナはどうして増えるのか。
球根で増える、ということは一応わかっている。
1個が2個に、2個が4個に。
いま咲いている場所の隣に、そのまた隣にと、だんだん増えていく。
それはわかる。
だけど、そういう群落から離れた場所に、ぽつん、と1本だけ咲いていることもある。
あれはいったいどこから来たのか。
大雨のあとや、猪が掘って崩した場所に、球根がむき出しになっていることがよくある。
親株から離れて、ころがって、行き着いた先で根をおろして増える。
それはわかる。
だけど、石や草やでこぼこのある地面を、そんなに遠くまでころころ転がって行けるものではない。
しかも、斜面の「下」に向かって増えるだけでなく、あきらかに「上」にも増えているように見えるのは、どういうわけか。
同じく「3倍体」のシャガなら、地下茎を伸ばして増えるから、上に、ということもあるけれど、ヒガンバナは?
畑を耕しているとき、たまたま出てきた球根を、ぽいっと遠くに投げた、とか。
(水仙と間違えて植えたことは、一度くらいあったかも…)
もぐらがトンネルを掘るとき、土と一緒に移動した、とか。
おねずが持っていったけど、途中で毒と気づいて捨てた、とか。
それをアナグマが蹴った、とか。
えーっと、それを鹿が拾って、ボール代わりにゴルフの練習をした、とか。
商売柄、想像しようと思えばいくらでもできますが、それでも「えー、どうしてここに?」という思いがけない場所に生えるのよ、ヒガンバナって。
ほんとうに種子は「できない」のだろうか。
「できにくい」じゃなく?
たまに、ちょっとぐらいは、できるんじゃないの?
疑り深い閑猫は、なかなか納得しない。
調べたら、セイヨウタンポポも「3倍体」なのだそうだ。
ふわふわ飛ぶ綿毛の種子、あんなにいっぱいできるじゃないですか。
なんなの? 3倍体。
そして、謎その2。
とにかくヒガンバナに種子はできない、と。
オーケー、それは認めるとしよう。
では、この派手な花は何のために咲くのだろう。
真っ赤な花に、黒アゲハがよく来ている。
虫が来るということは、蜜があるということで、蜜があるということは、虫に来てもらいたいということだ。
虫の助けを借りて効率よく受粉して、できるだけたくさんの種子をつくろうとするシステム。
システムだけあって、結果がないというのが奇妙だ。
もしかしたら、昔はヒガンバナも種子のできる2倍体だったが、あるとき何らかの原因で3倍体が出現し、それが広まってすべて3倍体になってしまい、システムだけが変異についていけず昔のまま残ったのかもしれない。
それとも、もしかしたら、この人目を引く花は、もっぱら人間にアピールするために咲かせているもので、人の手で球根を植えて増やしてもらうのが狙いなのではないだろうか。
(というのは、例によって根拠のない閑猫説ですから、信じないように)
さらに、謎その3。
キンモクセイと同じく、ヒガンバナも「中国から渡来した」ということになっている。
で、中国Wikiを見てみたら、あちらで「石蒜」というヒガンバナは、画像で見たところ日本のものと同じに見えるが、自家受粉植物で種子ができる、というふうに書かれている(ように読めるグーグル翻訳!)
あれえ? 種子、できるんだ?
と、さらにしつこく調べていくと、どうやら中国には種子のできるヒガンバナが存在し、それは日本のものよりやや小さく、お彼岸よりひと月ほど早く8月に咲くのだという。
そうすると、なぜ種子のできないのだけが渡って来たのか…という、このあいだのキンモクセイとまったく同じ謎に行き着いてしまうのです。
お彼岸のタイミングで咲いて、花の大きいほうが好まれた、というだけのことなんだろうか。
ヒガンバナは、妖艶ともミステリアスともいえる赤い花のせいか、昔からこだわって研究している学者が何人もいるらしく、それは植物学だけではおさまらず、民俗学、言語学、食物史、文化史の領域にも及んでいる。
ヒガンバナを植えて30年以上も観察を続けた研究者がいて、その間に1個の球根が926個にまで増えたそうだ。
この数は、ものすごく多いような気もするし、意外とゆっくりのような気もする。
わが家も、ここに住んで30年あまりになるから、家の周りのヒガンバナは、鹿の食害さえなければ、それくらいに増えていたかもしれない…と考えると、やっぱりものすごく多いですよね。
おまけ。
『酒天童子』を書いたとき、「土蜘蛛」の章で、廃屋の庭にヒガンバナ(曼殊沙華)を咲かせた。
原作にはないけれど、雰囲気づくりにぜひ欲しいと思って。
しかし、この花が文献に登場するのは、じつは室町時代以降なのだ。
水稲栽培と共に渡来した、という定説が本当なら、万葉集にそれらしい歌が一首くらいあってもよさそうなのに、何もない。
紫式部も清少納言も、なぜかこの花のことはひとことも書いていないらしい。
これも謎といえば謎。あれだけ目立つ花、見れば何か言いたくなりません?
書かれていないからといって、当時ヒガンバナが存在しなかった、とは言い切れず、他の名前で呼ばれていた可能性もあるけれど。
『酒天童子』は、自分なりに時代考証にも気を使ったので、どうしようか迷ったけれど、どうせ元が江戸時代の人の想像した「平安ふぁんたじー」なんだから、いいよね、と思って、書いた。
「篠笛」は校閲でチェックされたけど、曼殊沙華はひっかからなかったので、ほっとしました。
酒天童子 | |
竹下 文子・著 平沢 下戸・イラスト |
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偕成社 2015年 |