暖冬だなんて言ったの、誰? ってぼやきたくなるくらい寒い。
晴れていても室温は10℃そこそこ。
焚き付けの小枝を拾いに行って、なぜかずーっと
ゴジラのことを考えていた。
昔の映画だけど、どこかの都市にあらわれたゴジラが、
ずんずんと歩いてきて、高層ビルに頭から突っ込み、
そのままずんずんと歩きつづけてビルを破壊するシーン。
ゴジラの圧倒的な強さと凶暴さを表現したい、という意図はわかる。
だけど、いくら怪獣でも、ああいうことはしないんじゃないか。
と、それを見たときの違和感が、その後いつまでも消えずに残り、
ふとしたはずみで頭に浮かんでくるのである。
壊さなきゃ前進できない状況ではなく、右も左もあいてるんだから、
邪魔ならちょいとよけて通ればいいじゃないですか。
壊さなくてもいいものをわざわざ壊して自分の力を誇示する。
カラテの人が、割る必要のない瓦を重ねて割ってみせたりするのと
同じ発想だ。そんなことを思いつくのは人間しかいない。
映画のゴジラが、ゴジラという生命体ではなく、着ぐるみをかぶった
人間だということがそこでバレてしまっている。
いや、せっかくだから、もう少し考えてみよう。
カラテの瓦割りは、要するにパフォーマンスである。
他の人間に見せて、威張りたい、称賛されたいのだ。
もしかしたら、ゴジラも、他のゴジラに見てほしいのではないか。
オレ、こんなに強いんだぜ、どうだって。
ちっこい人間なんか、もともと眼中にない。
人間だって、ねずみや蟻相手にパフォーマンスしないでしょう。
ゴジラは、生命体としての本能に従って、ゴジラ流の
縄張り宣言だか求愛ディスプレイだかをやっているにすぎない。
しかし、いつまでたっても、相手はやってこない。
1匹いればじゅうぶんだという人間の勝手な思い込みのせいで、
ゴジラは地球上でひとりぼっちだ。
目的を見失い、無意味な破壊をつづけるしかない。
じつに気の毒である。
と、まあ、怪獣にリアリティを期待してもしょうがないんですが、
(2匹いてもね、けんかばっかりしてたら、よけい迷惑だし!)
とりあえず、このへんにいるのが猪と鹿でよかった。
というのが本日のテーマです。
2メートルの柵をめぐらせておけば平和が保たれる。
ゴジラでは、そうはいかない。
写真はすべて柵の中のブロッコリーの葉。
本日の「いいね!」
これは楽しそうですね。しかし、