ふたたび拾った羽。
長さ約50ミリ。
グレイと白のツートンカラーに特徴がある。
ツグミかヒヨドリくらいの大きさの鳥ではないかと思うけれど、
何でしょうか。
このあいだから、3人の亡霊にとりつかれている。
その名はマゼラン、ダヴェンボート、そしてロスチャイルド。
読んでいるのは「The Lost Birds of Paradise」という本。
Birds of Paradiseとは、むかし極楽鳥と呼ばれたフウチョウのことだ。
フウチョウの仲間は、現在ニューギニアに40種ほどいて、
その多くはオスが非常に美しい飾り羽をもつ。
想像上の鳥ではないか、と疑いたくなる奇抜な姿のもいる。
しかし、この本にとりあげられた19種のフウチョウは、そのどれでもない。
ごくわずかな数の標本、あるいは標本を元に描かれた絵しかなく、
現存が確認されていない「幻の鳥」なのだ。
1522年9月。
マゼラン艦隊は、3年におよぶ「悪夢のような」長旅を終えて
ようやくスペインの港に戻ってきた。
船出したとき277人いた乗組員はわずか19人しか残っておらず、
隊長のマゼランも途中の島で命を落とすという悲惨な航海だったが、
ぼろぼろになった船には、異国のお宝がどっさり積まれていた。
その中には誰も見たことのない美しい鳥の羽もあった。
・・というところから話は始まる。
時代はとんで、19世紀末から20世紀初頭。
貿易商ダヴェンボートは、当時オランダ領のニューギニア島で、
現地人の猟師を雇い、フウチョウを含む大量の鳥を採取していた。
ヨーロッパでは羽はご婦人方のアクセサリとして需要が高く、
珍しくて美しい異国の鳥の羽には、宝石なみの値がついたからだ。
ダヴェンボートは羽毛商人として成功しただけでなく、
みずからも鳥類学にのめりこんでいった。
富を得た人は名誉も欲しくなる。
この時代、学者にとっての名誉といえば「新種の発見」。
熱帯の未開の島は動植物の宝庫で、西洋人が初めて見るものは
何でも「新種」なのだから、これはもう早い者勝ち。
しかも、ヨーロッパから遠路はるばる探検に行くよりも、
ジャワに港を持ち、現地に顔のきく貿易商は圧倒的に有利なのだ。
このダヴェンボートの顧客のひとりにロスチャイルドがいる。
英国の大富豪でバロンの称号をもつこの人は、
おじいさんの創立した銀行はそっちのけで自分の趣味に没頭し、
屋敷にあふれたコレクションをおさめるために
ロンドン郊外に博物館までつくってしまうような人。
美しく謎めいたフウチョウにとりわけご執心で、
次々と取り寄せるのに金に糸目はつけなかった。
この人たちは、手に入れた「新種」に嬉々として自分の名前をつけ、
特注のガラスケースに飾って悦に入っていた・・のですが、
そこにあらわれたのがドイツの学者シュトレーゼマン博士。
これらの標本を鑑定し、「新種ではない、ぜんぶ雑種である」
と公表してしまったから、さあたいへん。
・・ということで「幻」となってしまった19種のフウチョウと
その経緯がこの本にはおさめられているのですが、
(上記の文章にはいくらか閑猫的解釈が混ざっていますので、
あまり信用してはいけませんよ・・笑)
シュトレーゼマン以来、積極的に検証しようとした人はなく、
標本の多くは散逸し、あるいはしまいこまれたまま忘れ去られ、
DNA鑑定もままならない、ということです。
学問的にみれば、「なんだ、雑種か」で終わる話かもしれませんが、
鳥って、そんな簡単に雑種ができるのでしょうかね?
(人為的に交配すればともかく、ニューギニアのジャングルで?)
この時代(日本でいえば明治のころ)、自然保護なんていう
概念は生まれておらず、人々は先を争って冒険や探検に出かけ、
宝の島は見つけた者勝ちで、持てるだけ持って帰ってきた・・
つまり、「桃太郎」や「ジャックと豆の木」のお話は、
100年前には今よりずっとリアルな話だったのではないか、と、
そのへんにも非常に興味をひかれるのでした。
そうした行為の是非はともかくとして、「未知のもの」に向かう人々は
子どものような好奇心と無鉄砲さに満ち、あこがれと畏れを胸に、
きらきらと目を輝かせていたことでしょう。
(しかし、ロスチャイルドはともかく、ダヴェンボートは
オランダの人なので、もっと知りたくても読めそうな資料がない!
この人(父子2代)の伝記とか、日本語で出てないかなあ・・)
フウチョウが住んでいるニューギニアの熱帯雨林。
(これは2年前にMが撮ってきた写真)
<追記>
この鳥について興味をお持ちの方はこちら(動画)もどうぞ。