多摩川の羽村取水口から四谷大木戸まで続く玉川上水、今まで以下のコースを歩いてきました。
羽村取水口-拝島(1、2)(2008年11月23日)
拝島-鷹の台(3、4、5)(2010年2月20日)
鷹の台-三鷹(6、7、8)(2010年4月3日)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/tamagawa/s/zentai.jpg)
玉川上水全体図(図面をクリックすると大きな地図になります)
また間が空きましたが、この1月8日に三鷹から明大前までのコースを歩いてきました(下の地図・クリックすると大きな地図になります)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/tamagawa/s/tamagawa4-s.jpg)
JR三鷹駅は、玉川上水の上に設けられています。そのため、玉川上水は三鷹駅の北西側で一度消滅し、その逆の南東側で再度現れます。左下の写真は、三鷹駅の南口を出たところから東方向を見た写真であり、遠方の木が生い茂った部分で玉川上水が現れています。その一番手前側に見える欄干が三鷹橋と呼ばれています。さっそく玉川上水の右岸を歩き始めます(右下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2067.jpg)
三鷹駅から南東方向 玉川上水
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2069.jpg)
太宰治碑
玉川上水というと、太宰治の入水自殺が有名です。
三鷹橋からむらさき橋に向かって玉川上水の右岸に並行して走る道路を進むと、玉川上水とは反対側の道ばたに、まずは「太宰治碑」(上写真)を見つけることができます。この碑に載せられた写真から、当時の玉川上水の水量が豊かであったことが見て取れます。
さらに少し歩いたところに、やはり玉川上水と反対側の道ばたに、「玉鹿石(ぎょっかせき)」が飾られています(左下写真)。銘板には『「玉鹿石(ぎょっかせき)」青森県北津軽郡金木町産1996年(平成8年)6月』と記載されているのみです。この場所が、太宰治と山崎富榮が1948年6月13日入水した地点だということです。この玉鹿石に面した位置に、小さなレストランが店を構えていました(右下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2076.jpg)
玉鹿石 玉鹿石に面するレストラン
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2084.jpg)
むらさき橋から 万助橋から
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2087.jpg)
万助橋 井の頭恩賜公園西園
万助橋の南東側は、その北東側も南西側も公園になっており、木が生い茂っています(左上写真)。北東に行くと井の頭公園に続いています。そして南西側は「井の頭恩賜公園西園」と名付けられ(右上写真)、この先に三鷹の森ジブリ美術館があるとのことです。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2095.jpg)
万助橋からほたる橋の間 幸橋
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2101.jpg)
新橋から松影橋の間 新橋から松影橋の間
右上写真は、上水から北側を撮ったものです。写真から分かるように、上水の北側は土地が低くなっています。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2113.jpg)
井の頭橋から若草橋の間 宮下橋で
宮下橋の下で、白鷺らしき鳥が水面に羽を休めていました(右上写真)。私が使っているカメラはキャノンのS90というコンパクトデジタルカメラです。このカメラの画像における唯一の問題点は、望遠端で白い被写体を撮影すると輪郭に色収差が出ることです。この写真も怪しかったのですが、鳥の輪郭がややぼやけているだけで色収差までは出ていないようです。
続く
羽村取水口-拝島(1、2)(2008年11月23日)
拝島-鷹の台(3、4、5)(2010年2月20日)
鷹の台-三鷹(6、7、8)(2010年4月3日)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/tamagawa/s/zentai.jpg)
玉川上水全体図(図面をクリックすると大きな地図になります)
また間が空きましたが、この1月8日に三鷹から明大前までのコースを歩いてきました(下の地図・クリックすると大きな地図になります)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/tamagawa/s/tamagawa4-s.jpg)
JR三鷹駅は、玉川上水の上に設けられています。そのため、玉川上水は三鷹駅の北西側で一度消滅し、その逆の南東側で再度現れます。左下の写真は、三鷹駅の南口を出たところから東方向を見た写真であり、遠方の木が生い茂った部分で玉川上水が現れています。その一番手前側に見える欄干が三鷹橋と呼ばれています。さっそく玉川上水の右岸を歩き始めます(右下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2063.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2067.jpg)
三鷹駅から南東方向 玉川上水
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2070.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2068.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2069.jpg)
太宰治碑
玉川上水というと、太宰治の入水自殺が有名です。
三鷹橋からむらさき橋に向かって玉川上水の右岸に並行して走る道路を進むと、玉川上水とは反対側の道ばたに、まずは「太宰治碑」(上写真)を見つけることができます。この碑に載せられた写真から、当時の玉川上水の水量が豊かであったことが見て取れます。
さらに少し歩いたところに、やはり玉川上水と反対側の道ばたに、「玉鹿石(ぎょっかせき)」が飾られています(左下写真)。銘板には『「玉鹿石(ぎょっかせき)」青森県北津軽郡金木町産1996年(平成8年)6月』と記載されているのみです。この場所が、太宰治と山崎富榮が1948年6月13日入水した地点だということです。この玉鹿石に面した位置に、小さなレストランが店を構えていました(右下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2073.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2076.jpg)
玉鹿石 玉鹿石に面するレストラン
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2079.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2084.jpg)
むらさき橋から 万助橋から
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2085.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2087.jpg)
万助橋 井の頭恩賜公園西園
万助橋の南東側は、その北東側も南西側も公園になっており、木が生い茂っています(左上写真)。北東に行くと井の頭公園に続いています。そして南西側は「井の頭恩賜公園西園」と名付けられ(右上写真)、この先に三鷹の森ジブリ美術館があるとのことです。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2089.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2095.jpg)
万助橋からほたる橋の間 幸橋
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2100.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2101.jpg)
新橋から松影橋の間 新橋から松影橋の間
右上写真は、上水から北側を撮ったものです。写真から分かるように、上水の北側は土地が低くなっています。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2108.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/tamagawa/s/IMG_2113.jpg)
井の頭橋から若草橋の間 宮下橋で
宮下橋の下で、白鷺らしき鳥が水面に羽を休めていました(右上写真)。私が使っているカメラはキャノンのS90というコンパクトデジタルカメラです。このカメラの画像における唯一の問題点は、望遠端で白い被写体を撮影すると輪郭に色収差が出ることです。この写真も怪しかったのですが、鳥の輪郭がややぼやけているだけで色収差までは出ていないようです。
続く