弁理士の日々

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10年前の尖閣対応

2020-09-13 15:12:58 | 歴史・社会
尖閣で中国の船が日本の巡視船に体当たりし、海上保安庁が中国漁船船長の身柄を拘束した後、逮捕、拘留、勾留延長、突然釈放と進行した事件から、10年が経過するのですね。最近になって、当時民主党政権で当事者だった前原誠司氏が、発言しているようです。
ここではまず、その当時に私がこのブログでどのように発言していたのかを回顧してみます。
理士試験~FD改竄~尖閣問題 2010-09-24
--再掲-----------------------------
《尖閣問題》
9月24日の朝日新聞朝刊に「中国、レアアース禁輸」の一面記事が載っています。ネットニュースにも載っていませんでした。わずかにニューヨークタイムスが報じていたようです。これも朝日のスクープでしょうか。
さらにフジタ社員4名が中国で拘束されたとのニュースです。
そして本日15時、那覇地検は中国人船長を釈放しました。鈴木亨次席検事は記者会見で「我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当ではないと判断した」と述べ、日中関係悪化が判断材料となったことを認めました。
○この時期に釈放するぐらいなら、そもそも勾留延長を行わずに釈放する方がはるかに得策だったと思います。勾留延長して中国のメンツまで潰して、何を捜査しようとしたのでしょうか。
○検察が記者会見で「政治判断」を理由に述べるのは異常です。何で「捜査の関係で拘留が必要なくなったから」と述べないのでしょうか。実際に政府から圧力がかかり、それを不服としてこのような発言をしたのでしょうか。
○今回のように極めて政治的に微妙な事件において、相手国と裏取引して釈放時期を決めるなど当然に必要でしょう。ただしそれを公表する必要はありません。そのような大人の外交を、民主党政権は中国・那覇地検との間で遂行することができなかったということでしょうか。

尖閣問題はどうなる? 2010-09-27
--再掲-----------------------------
尖閣諸島をめぐる今回の騒動、結末(まだ終わっていませんが)は何とも後味の悪いものでした。
結果として中国の恫喝に屈するような形で中国漁船船長を釈放しましたが、その後中国は謝罪と賠償を要求し、一方で拘束した日本人4人を釈放する気配は見せず、嵩に懸かってきているようです。
・・・
あの小泉政権ですら、尖閣に上陸して逮捕された中国人を拘留することなく強制送還しました。中国政府は今回もそのような処分であろうと考えていたところが、逮捕され勾留延長され、中国政府は完全にメンツを潰された形となり、強硬な中国世論の攻撃をかわすためには強硬姿勢を取らざるを得ませんでした。
日本側がした勾留延長の理由もよくわかりません。ニュースによると「船長が否認したので自動的に勾留延長」であったようですが、何でそのような杓子定規になるのでしょうか。検察は杓子定規、政府は検察任せということで、「勾留を延長せずに強制送還」というチャンスをみすみす逃すこととなりました。

尖閣問題~初動のいきさつ 2010-09-28
--再掲-----------------------------
尖閣問題で海上保安庁が中国漁船船長の身柄を拘束した後、この事件のポイントは3回ありました。
第1は船長の逮捕に踏み切ったとき、第2は勾留延長に踏み切ったとき、そして第3は釈放したときです。それぞれの時点で日本の政権内ではどのようにして意思決定がなされたのか。
9月28日の朝日朝刊に掲載されていたのでメモしておきます。

《逮捕に踏み切る》
当時国土交通相だった前原誠司氏は7日の事件発生後、鈴木久泰・海上保安庁長官に電話で「中国漁船の船長は逮捕すべきだ」と指示しました。首相官邸にいた仙谷官房長官にも電話で「中国には毅然とした態度を貫いた方が良い」と伝えました。
岡田外相は、外遊先のドイツで事件発生の連絡を受け、電車の乗り継ぎのわずかな合間に前原氏が主張した船長逮捕をあわただしく受け入れました。
7日の夕刻に、仙谷氏は民主党代表選の渦中にあった管首相に代わり、海上保安庁と外務省の幹部から尖閣諸島沖での衝突事件の報告を受けていました。出席者の認識は「事件の悪質性を考えると逮捕はやむを得ない」で一致しました。

逮捕後も、当初は中国側の反応も比較的穏やかだったようです。
逮捕後の成り行きについて、中国側には「日本側は中国との関係に配慮して船長の勾留延長はしないだろう」との読みがありました。異例の5回に及んだ丹羽大使の呼び出しで、「中国側の意図を十分にくみ取り、釈放してくれる」とみていたからです。

《勾留延長に踏み切る》
17日の午後に管首相は内閣改造を断行します。外務大臣が岡田氏から前原氏に代わりました。
2日後の19日が勾留期限です。外務省幹部は「あの時はちょうど内閣改造の最中で、岡田氏も幹事長就任が決まってからは『それは次の大臣がやること』と仕事に手をつけなかった。前原氏も、直後に控えた国連総会の準備しか頭になかった」

しかし、即時釈放を求めてきた中国は19日を境に、急激に態度を硬化させました。後は見てきたとおりです。

副大臣や政務官の人事構想を終えた21日以降、管首相は悪化の一途をたどる日中関係と向き合うことになります。
このころの首相について、政府関係者は「訪米前に『イラ管』が出て、周辺を怒鳴ることもあった」と明かします。
《中国人船長を釈放する》
首相と外相がともに国連総会に出席し、留守を預かる仙谷官房長官の下で緊急回避策が進みました。官邸と協議をした上で、23日に外務省担当課長が那覇地検に行きました。24日に那覇地検の次席検事が中国人船長の釈放を発表した際、「我が国の国民への影響と今後の日中関係を考慮した」と説明したのは、前日に外務省担当課長から聞かされた意見が根拠となったと見られます。
--再掲以上-----------------------------

それでは、最近の前原氏の発言を追ってみましょう。

船長釈放「菅直人氏が指示」 前原元外相が証言 尖閣中国漁船衝突事件10年 主席来日中止を危惧 2020.9.8 06:00政治政策
--記事-----------------------------
--事件発生時の国交相として、どう対応したか
 「当日は参院国交委員会に出ていて、秘書からメモが入った。委員会後に大臣室に戻り海上保安庁の鈴木久泰長官から報告を受け、その日のうちに衝突時の映像を見た。極めて悪質な事案だということで、長官の意見を聞いたら『逮捕相当』ということだった」
 「ただ、外交案件になり得る問題なので、私から仙谷由人官房長官に『海保長官から逮捕相当という意見が上がっている。私も映像を見たが、逮捕相当だと思う。あとは外交的な問題も含め官邸のご判断をお願いしたい』と伝えた」

--船長逮捕は翌日になった
 「岡田克也外相はドイツに外遊中だった。それで連絡に時間がかかったと聞いている。菅(かん)直人首相と仙谷氏と岡田氏で話し合い、逮捕という結論に至ったと思う」

--9月17日に外相に就任した後の対応は
 「下旬に米国で国連総会があり、出発直前にその勉強会で首相公邸に呼ばれた。佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部と行った。そのとき、菅首相が船長について、かなり強い口調で『釈放しろ』と。『なぜですか』と聞いたら『(11月に)横浜市であるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に胡錦濤(中国国家主席)が来なくなる』と言われた」
・・・
 「私と菅首相は訪米し、あとは仙谷氏が対応することになった。逮捕すると決めておいて釈放するのは一貫性がない。仙谷氏は泥をかぶった。訪米するときに『オレに任せておけ』と言われた」

--どこで対応を間違えたのか
 「官邸の一貫性がなかったのが最大の問題だった。逮捕相当との意見を上げ、そして逮捕を決めたのは官邸だ。その主が釈放しろと言ってきた。そのつじつまを合わせるために泥をかぶったのが仙谷氏だった」
--記事以上-----------------------------

事件発生時、前原氏は国交大臣でした。
「海上保安庁長官の『逮捕相当』との意見を受け、仙谷官房長官に伝えた。逮捕は、首相、官房長官、(ドイツ滞在中の)岡田外相の話し合いの結論と思う。」ということで、自分は責任ないような言い方です。事件当時、前原国交大臣の意向が「逮捕」に強く影響したような報道でしたが・・・。
拘留期限(9/19)直前、9月17日に前原氏は外務大臣に就任しました。
今回の発言でも、勾留延長の決定に際しての外相としての判断については発言していません。当時の新聞記事の通り、前原外相は国連総会のことしか念頭になく、勾留延長可否については考えが及んでいなかったのでしょうね。勾留延長後、中国政府が強硬路線に態度を急変した後も、外相として勾留を維持すべき、との見解だったようです。それが菅首相の強い意向でやむなく釈放に至ったと。「当時の不当な釈放は、菅首相の責任である」と言いたいようです。

当時の船長釈放に関し、現時点で考えても、「釈放すべきでなかった」とはとても考えられません。逆に、「もっと早く、勾留延長前に釈放すべきだった」との意見です。
岡田克也氏(逮捕時の外相、勾留延長時の幹事長)も、「いま考えてもこれ以外に方法はなかったのではないか」「柔軟な措置をとったことはやむをえなかった」と強調。中国側でも「日本政府が大局的な見地から問題解決したことにほっとした関係者も多かった」との見方を示しています。(尖閣中国船衝突事件、「船長釈放以外に方法なかった」 当時外相の岡田克也氏が見解 9/11(金) 産経新聞)

問題は、釈放の判断の責任を検察に押しつけたことです。
釈放の理由は外交上の理由ですから、政権が判断し、法相が検察に指揮権発動して釈放とすべきでした。民主党政権は、法相の指揮権発動が絶対にいやだったのでしょうね。残念なことです。

それに対して前原氏は、今でも「あのとき釈放すべきでなかった。『釈放しろ』と発言した菅首相が間違っている。」との意見なのですね。そして、検察が責任を押しつけられたことについては発言せず、仙谷官房長官が泥をかぶった、という言い方しかしていません。

前原氏は当時から問題児でしたが、今でもまだ反省はないようです。
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